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幸せになるために生まれてきたんだよ

毎日中学生や高校生の自殺予告についてのニュースが流れています。そのたびに、何ともいえない気持ちになります。また、大人として、親として、そして教員として考えさせられます。

子どもたちが抱えているいろんな思いを到底推察することはできません。子どもたちの悲しみや苦しみが計り知れないほど重たいものだからです。人の気持ちを理解するということ自体、傲慢そのものではないかとも思います。でも、これだけは言いたいです。

絶対死んじゃだめだ!!だって、この世に生まれてきたのは幸せになるためだから。まわりをもう一度見渡してみてごらん。君を見守ってくれている人が絶対いるから。傷ついたココロを癒すには時間がかかるけど、これからの長い人生で少しずつだけど必ず癒えていくから。自分を傷つけなくていいんだよ。大丈夫だよ。

子どもたちをどうやったら守ってあげられるのかな。

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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんにちは、キッチンです。

私の考えなのですが・・・
私は、この病気になってから、人の温もりの感触が気持ちのいいことが、わかりました。

下の子が、精一杯の願いと不安と愛情でもって、小さな手で抱きしめてくれるのです。
そうすると、心が和らいで、自然に「頑張らないとなあ・・・」という気持ちになるのです。

人は、一人では生きていけない、というのは、こういうことなのかなあ・・・と。

きっと、今、不安でいる子供たちにも、そっと手を触れてあげる。
横にくっついてあげる。
ギュッとしてあげる。
言葉などいらないで・・・。

ドクッドクッドクッ・・・
血の通った音。

急がなくても人は、誰でも必ず死んでしまう。
今日、死のうと思ったら、今日は一日好きなことをしてみる。
今日一日、生きることが出来たら、「よかった。うれしい。」と眼で会話をしてみる。

言わなくてもわかるだろう・・・なんて、分かるわけがないんです。
言葉(説教ではなく、そうか、という肯定)や温もり、そばにいてくれる、そんなことができたら、いいなあ、と思います。

私は、自分の子供に死んで欲しくありません。
どこかで、きっと信号が出ていると思います。

上の子は、突然の夜のはぎしりでした。
下の子は、一緒にトイレに行って、という言葉でした。
毎日、見ていると昨日とは違う今日があると思うのです。

今、悩んでいるお子さん達の親御さんは、ぜひ、昨日と違う何かを見て欲しいと思います。
それは、とても小さな出来事で、見過ごしてしまうかもしれませんが、諦めずに、毎日毎日、見てあげてほしいと思います。

GTUさんの仰るとおり、時間が必要ですが、きっと、癒えますよね。

投稿: キッチン | 2006年11月12日 (日) 14:54

あ・・・先生!!
私、非公開パスワードちゃんと書いてましたでしょうか・・・
あ、でもコメント頂いたので、書いていたようですね^^;

今のいじめは目に見えないと言うのが怖いです。
メールで「ウザイ」「死ね」・・・。

あの福岡のような先生ばかりだとは思いたくないし、
誰でもいい、とにかくSOSを発信しまくってでも
死ぬことだけは考えないで・・という思いの毎日ですが、今日も残念ながら1人自殺していましたね。。。

投稿: たんちゃん | 2006年11月12日 (日) 17:26

GTUさん、本当に子供達をどうしたら守れるのでしょうね。
大人で、死を一度も意識した事がない人は殆ど居ないと思います。
でも、小学生が…余りにも早すぎます。
切ないですね。
原因はいろんなところにあるでしょう。
でも、私もキッチンさんと同じ考えで、やはり親が子供を見守る事、これが一番だと思います。
そして其れしか無いのではないかと、感じています。
子供が楽しく暮らせる社会にしたいですね。

投稿: 優しい光 | 2006年11月12日 (日) 21:51

おっしゃる通りですが・・・自殺が唯一の希望だった小学校5年当時の私が、大人からその言葉をかけられたとしても、もしかしたら心に響かないかもしれません。
あの頃の私は、未来の幸せを見ることなんてできませんでした。あと1週間今のまま耐え続けることすら辛かった私には、未来のことなんて遠い彼方の物語でした。

私が自殺未遂をした後で、当時の担任の先生が日記帳を使って、いろいろな話をしてくれました。今見ると、「死んではいけない」「今は辛くてもいつか幸せになれる」「あなたにも良い所がある」等々、想いのこもった言葉が沢山並んでいますが、いじめにより自己否定されて、幸せな未来を信じることも夢見ることもできなくなっていた私の心には、残念ながら何も響きませんでした。

けれど、先生がおっしゃってくれた言葉の中で唯一、今でも心に残っている言葉があります。「先生の大切な生徒が自殺してしまったら、先生はとても悲しい」・・・それを読んだ時、(私が死んだら悲しんでくれる人がいるんだ)(こんな私でも生きていて欲しいって思ってくれる人がいるんだ)と分かって、泣きたいくらい嬉しかったです。

私はボランティアでいじめ相談員をしていますが、死ぬのはいけないと諭すよりも、どうして私がいじめ自殺を必死にくい止めようとしているのか、その想いを話した方が、子供達は分かってくれるように思います。

最近は、涙を流さずにニュースを見れません。自殺の連鎖をくい止めたいです。

投稿: まりも | 2006年11月12日 (日) 23:42

GTUさん、こんにちは。
親の役割、先生や周囲の役割、地域の役割どれも今、殺伐とした余裕のない人間関係の中で、もう一度見直されていると思います。
どれも身近な一歩からなんでしょうね。

ところで、Tv、新聞報道だけで全ての情報だとは思えないけれど、親や先生ではなく、いじめた側の子供の謝罪だとか、そういう視点があまりにもおろそかになっていることに、不安を隠せません。どうなっているんだろう。
事実は受け止めなくてはいけない。周りのフォローも必要なんだけど、当事者はどうしちゃったんだろうって思うんですよね。GTUさん、どう思われますか?

投稿: milou | 2006年11月13日 (月) 20:27

コメントありがとうございます。

>キッチンさんへ
昨日まで悲しいニュースが相次いで飛び込んできましたね。一体どうしてしまったんだろう。
人を支える力になるのは、キッチンさんの言われるとおり、ぬくもりだと思います。
血の通い合ったつながり・・・・。ひょっとしたことで一線を越えようとしたときに、自分を踏みとどませる唯一のものは、誰かの笑顔が浮かぶことしかないと思うのです。
ボクはやはり家族の笑顔が浮かびます。だから生きなくては・・・前を向かなければと思ってきました。
死を選んでしまった子どもたちは、一体何が浮かんだんだろう。だからこそ、余計に悲しいです。

>たんちゃんへ
お久しぶりです。ボクは相変わらずです。
悲しい事件が相次いでいて、一体どうなってしまったんだろうって思います。ただ、今まで埋もれてしまってたものが一気に噴出したようにも思います。学校と家庭の教育の在り方が本当に問われているんですね。
以前から気になっていることは、学校は行政からの指導が年々厳しくなり、教員に余裕が無くなってしまったことです。以前は当然のように子どものことが職員室の話題の中心だったものが、今は事務的なものばかり。職員室ではコンピュータとにらめっこ。いつもボクたちは提出期限に書類を出すことばかりにせかされている感じです。家庭からはしつけのことなどでよく学校に相談があります。家庭で解決してきたことが学校に委ねられることが多くなりました。家庭の力が無くなってきているのかなあと思います。そんな中で起きた事件だからこそ、もっと根本的なところで考えていかないと、解決にはならないと思うのです。

>優しい光さんへ
いつもありがとうございます。
三輪中のことが報道され続けていますが、亡くなった彼は、死の発信をし続けていたようです。その発信をまわりはどう受け止めていたのでしょう。
学校はもちろん、たぶん家庭でも彼は異変があったのではないかと思います。
ボクは一人の親として、もし自分の子どもが死に至ったととしたら、死を止めることができないような家族であったのか、親であったのか、そして一人の人間だったのかと考えるでしょう。
確かに学校の不手際は言い訳できません。どうして生死の選択に、一番愛してくれている家族の顔が浮かばなかったのか、残念でなりません。
学校も真摯に反省しなければならないことが山ほどあります。ボクも反省しきりです。

>まりもさんへ
まりもさんのおっしゃるとおりです。どんなに大人がきれい事を言っても、追い込まれている子どもたちは響かないかもしれません。でも、ブログを読んだ人に何か感じて欲しいと思ったんです。それしかボクはできないから。
ギリギリの思いでいる子どもたちに、幸せになるために生まれて来たっていっても、今が苦しくて、余裕がなくて、そんな綺麗事なんて受け止められないと思います。壊れたボクでさえ、すべてのことが受け止められないときがあったのですからよくわかります。
まりもさんが言われるように、子どもであれ、大人であれ、踏みとどまる唯一のものは、誰かがこんな自分を受容してくれていることを感じることしかないのかなあと思います。それがだれであれ、その人の顔を浮かべることができたら・・・・。
まりもさんが相談員として頑張ってあることをはじめて知りました。ボクも、できることをやります。子どもたちのために頑張りましょうね。

>milouさんへ
そうですね。たしかにいじめた側の問題はあまり取りだたされないように思います。
教育的な配慮というか、いじめた子どもたちは死に追いやってしまったという自責の念を当然もっている、という前提があるし、これからの将来を考えると矛先をはずし、更正を促すという教育的な配慮からそういう報道のされ方がされているのではないかと思います。ただ、裏では彼らへのバッシングはひどいもので、ネット上では誹謗中傷に愕然としてしまいます。
彼らは彼らなりに制裁を受けてます。
だれが引っ越しをした、不登校になったという話も耳に届いてきます。
そんなネット上の記事やその後のことをいろいろなところで見たり聞いたりすると、本当に悲しくなります。
彼らは決して許されないことをしたかもしれないけれど、生かされている以上、命に対する責任を持って、自分の人生を大切に生きていってほしいと願うだけです。

投稿: GTU | 2006年11月18日 (土) 19:55

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