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通知表の重さ

学校で言えば、1学期もおわりに近づいてきました。前回、通知表のことを書きましたが、その後の話の続編ということでおつきあいください。

日頃は怒ることがほとんどない妻が、二男の通知表をみた時珍しく腹を立てたのです。でも、成績のことで二男を怒ったんじゃないんです。それは・・・・

二男の通う学校の通知表は、見開きの左側は主に学習のようすのスペースになっています。そして、右側は「総合的な学習の時間」のようす、学級や児童会のなどの特別活動のようす、生活のようす、出席のようすという項目があり、授業以外の学校生活をどのように過ごしてきたかがよくわかるようになっています。その項目の一つ、「生活のようす」の欄をみて、妻が怒ったのです。

なぜかというと、「基本的な生活習慣」、「責任感」、「公正さ」など、細かく10項目あるのですが、二男はその中の1つの項目だけに○が付けられていました。そして、本当はそのほかの2項目にも○が付けられていたようですが、見てもはっきりとわかるぐらいに砂消しゴムで2つの○が消されていたのです。消されていたから一層目立ってしまうのです。

妻は、書き損じのための予備があるはずなのに、なぜ担任の先生は新しい通知表に書き直されなかったのだろうというのです。その感性が信じられないと。ボクは妻より先に通知表を見て、○が消されていることには気づいていました。とても目立つものですから、たぶん二男も気づいていたことと思います。ボクは「まあ、仕方ないか」と思っていました。でも妻は、どんな思いをして通知表を保護者や子どもが見ているかを考えれば、「私だったら書き直す」といいました。

ボクが思うに、通知表は子どもたちの学校生活のすべてを表しているものではないと思います。もしかしたらほんの一部分かもしれません。もし、それはまちがっているという教師がいるならば、それはあまりにも教師の傲慢だと思います。いくら長い時間、子どもたちと時を過ごしたとしても、その子のすべて(こころの中も含め)が理解できるはずはありません。わかっているつもりでいるだけなのです。そんなことは不可能だし、理解されるほど人間は簡単な生き物でもありません。だから、この子は責任感があるとか、みんなのことを考えていないなど、その子どもの人間性なりを評価すること自体、本当に可能なのかと考えてしまいます。教師に反抗したり、荒れた行動をしている子どもがいたとして、その子を見た目のままで評価するのは手っ取り早く簡単です。でも、子どもたちは揺れています。生活背景も重たく横たわっています。懸命にこころの中でいろいろな葛藤をしています。大人に逆らったり、裏切ったりしてはいけないとわかっています。だからこそ、通知表をつけるときにとても悩んだし、通知表そのものが一体どんな意味があるのだろう、気休めに過ぎないのではないかって考えてしまいます。現場にいたときは、○ひとつ付けるのにも悩みました。そして結局、子どもたちをいくつかの項目の枠に無理してはめこまざるを得ませんでした。

ボクは通知表をつける立場から離れ、子どもが持って帰ってくる通知表を待つ保護者の立場にいます。こんなこといって、実は結構、通知表は気になりました。特に、学校に行けなかった保護者として、我が子の4ヶ月にもわたる学校生活がどうだったのかを知る手だては、通知表でした。そして一喜一憂するんです。

今、ボクの横で妻が通知表をつけています。一昨日から寝ないで、悩んでつけているようです。気分が乗らないと書けないと言います。私もそうでした。機械的な仕事ですませたくはないのです。書いているときも子どもたちや保護者の顔が浮かびます。一人一人との思い出が浮かんできます。通知表をつけることに悩む教師でいたいねと話しています。たかが通知表です。されど通知表です。

だから、妻は怒ったんだと思うのです。ボクはまだまだ修行が足りません。

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