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女王の教室

今「女王の教室」というテレビ番組が注目されています(読売新聞)。この番組に関しては至る所で論議されているようなので、いまさらという気もしないではないのですが、同じ立場の教師としてこの番組で感じていることを率直に書きたいと思います。

すべての番組は視聴率を上げるという宿命を持っていますから、あまりにも誇張しすぎているし、教師の立場から言っても、目を覆いたくなる部分もあります。でも、現場ではこのドラマと同じ様な状況があったり、このドラマを見て考えさせられるところもたくさんあります。たとえば、「成績絶対主義」ともいえる指導法を主人公の真矢先生はやっています。子どもを奮起させる一つの手段として、テストの点数の悪い子どもに雑用係をさせるというのがそうでしょう。ボクは人間の値打ちは成績がすべてではないという考えで教師をしてきました。また、一人一人の良さを見つけ、お互いに認め合うことが大事であることを子どもたちに問い続けてきました。でも、現実には義務教育の最終段階として最後の最後に受験という厳しい壁が立ちふさがります。受験の合否は内申書の教科の評定と、受験当日の取れた点数で合否が決められます。内申書の成績がよかったり試験の点数を取れる子どもであれば志望校に合格し受け入れられ、どんなに性格的に素晴らしい子どもでも成績が悪く、点数を取れない子どもは不合格として学校側から否定される立場になるのです。そこは本当にシビアな「成績絶対主義」の世界です。3年間で(小学校から入れると9年間)大切に暖め、育んできたこととこの世界とのギャップに直面し、そのねじれ現象に多くの教師は立ち止まり、悩んでいます。もっと一人一人の良さを合否の判断基準にしてほしいと願いながらも、虚しい絵空事にしかなりません。だからこそ、学力をつけなければならない責務が課せられているんだと思います。現場では様々な取り組み、たとえば一つの例として授業改善、小テストや再テスト、補充学習、家庭学習の点検などにとりくんできました。でも、本当に子どもたちに学力をつけることができたのかと問われると、堂々と胸を張って答えられないところもあるのは確かです。指導の技術的な未熟さはもちろんのこと、熱意さえも欠けた教師がいることも事実です。ドラマの中の真矢先生のような指導は現実的にはできません。それは、問題が少しでも生じると、保護者のクレームはもちろんのこと、公立校の場合、管理職や教育委員会からの強い指導が入るからです。こういう指導をしたからこんなに伸びましたというような結果が得られれば、納得もするかもしれませんが、小学校とは違い教科担任制をとっている中学校では難しい問題があります。指導やクレームを無視することは、自分の身分や立場が保障されません。異動?停職?不適格教師の烙印?解雇?でも、あくまでもドラマですが、このことを百も承知である種の信念を持って指導をしている真矢先生の姿が、教師がえてして持ちがちな「妥協する」姿勢を、「教師たち、本気なのか」と辛辣に問うているのではとドラマを見ていて感じるのです。「教師に逆らうと罰を与える」にしても行き過ぎの面は否めません。特に生徒を失禁させてしまうことなどは学校教育法11条、文部省初等中等教育局教務関係研究会「教務関係執務ハンドブック」でいえば、厳しく禁止されている体罰です。ただ、その考え方や方法の是非を問うことが大切ではなく、毅然とした態度で子どもと向き合うことができない教師や親の姿を浮き彫りにさせたかったのではないでしょうか。そこが、「愛することと甘やかすことは違います」(第3話)という真矢先生の言葉に象徴されていることではないかと思うのです。

また、いじめのシーンがあまりにもかわいそうだ、いじめを増長させるから番組を打ち切れという意見があります。確かに、一緒に見ているボクの子どもはいらつき、腹を立てています。でも、きれい事や甘い考えでは解決できない、厳しい子ども社会の現実を受け止めさせなければならないのではないかと思います。実際に現場では陰湿ないじめはあっていました。また、子どもたちの人間関係の希薄さには、愕然としたこともあります。昨日の味方は今日の敵という言葉があるように、子どもたちの人間関係は常に微妙です。子どもたちなりに子どもたちの世界で生きていくために必死なんですね。ただ、絶対にいじめを肯定してはいけないと思います。それこそ、教師、親としての毅然とした態度が子どもたちを救う唯一の手だてだと思うのです。

世間では、このドラマの是非を問い、騒ぎになっていますが、どの番組でも功罪はあると思います。教師は教師として、親は親として、子どもは子どもとして、それぞれの立場で学ぶべきものがあるということです。全否定することが一番簡単です。でも自分の子どもだけ見なければそれで済む、打ち切りになればそれで済むとはどうしても考えられません。子どもたちは子どもたちの世界で生きているわけですから。番組を見た当初、あまりにも極端な内容で、今までの自分が否定されるような錯覚さえ覚え、ボクにも拒否反応がでました。でもかみ砕きながらその後を見てみると、番組が訴えかけてくるんです。「自分だったらどう考え、何ができるのか。そのことに満足できるのか。」と。この視点を忘れては、ドラマにも社会にも飲み込まれてしまうのではと心配します。だから、今後もこの視点でボクの子どもと一緒に見ていきたいなあと思うのです。

最後に、このような番組が制作されるということは、現在の日本はまさしく危機的状況かもしれませんね。  

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コメント

こんにちは。根岸のねこです。
私はTVをあまり見ないので、初めてこのドラマについて知りました。
ドラマの世界は、大なり小なり内容の強調をすることで、主題を強く訴えかけることをします。
今回、このドラマでは、その誇張の激しさが問題になっているかと思います。
内容がきつすぎるという意見がでるのは、GTUさんが書かれてるような、現実のバランス感覚とのギャップを認識してるから出る言葉であり、そういう意味では見る側のバランス感覚が求められる内容かもしれません。
いずれにしろ、内容の無いクイズ番組みたいなものよりはためになるのではないでしょうか。

投稿: 根岸のねこ | 2005年7月30日 (土) 13:49

根岸のねこさん、コメントありがとうございます。
>見る側のバランス感覚が求められる内容かもしれません
そうだと思います。この番組に限らず、視聴する側がどう受け止めるのかが問題だと思います。表面的に見れば、見るに堪えない部分が確かにあります。ただ、教育に携わるのは教師だけではなく、すべての大人だと思うので、この番組を媒体にしていろいろ子どもたちの将来や教育のあり方について議論することは意味があると思います。そういう意味でも、今後注目しています。根岸のねこさんのおっしゃるように、肩に力だけは入れないようには気をつけたいと思います。必要以上に考えると、疲れてしまうので・・・。リラックス、リラックスと自分を戒めています。

投稿: GTU | 2005年7月30日 (土) 15:48

ここ2回ほど見れなかったんですが、今日やっと見ることができました。今日のもすごかったですね!私は実家で祖父母、両親と一緒に見てたんですが、祖父が「こんな教師にはなるなよ」って私に言いました。まぁあそこまで厳しい先生になるつもりはないですが、考え方というか、すごく深いところでいろいろ考えてあんなことしてるんじゃないのかなぁと私は信じたい!と思って「うん、まぁでもあの先生は的を射てること言ってるやんなぁ」と言っておきました。最終回にどうなるのかがすごく楽しみです。

…って少し前の記事に書いてしまいました(^_^;)ゴメンナサイ。

投稿: かなりんご | 2005年8月 6日 (土) 23:34

コメントありがとうございます。
かなりんごさん、おはようございます。

昨日も、結構激しかったですね。ただ前回までと比べて、
真矢先生の笑みが少し多くなったことを微妙に感じ取りました。これでもかと、子どもたちを谷底に落とすわけですが、本当はそこからはい上がってくる本物の強さを子どもたちに考えさせ、求めているという、妻の意見通りになってきたように思います。
真矢先生の意向を無視して、ガラスの片づけを手伝おうと立ち上がる子どもたちの姿に、家族一同歓喜の声を上げてしまいました。次回は子どもたちに、さらなる試練を与えるでしょうが、子どもたちの姿に注目です。

投稿: GTU | 2005年8月 7日 (日) 06:26

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