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一歩のために

前回の内容に付け加えたいと思い書いています。

まず、休職については、前回「休職して9ヶ月たった」と書きましたが、正確に言うと最初の6ヶ月は病気休暇という扱いでした。その名のとおり、病気を理由とする休みです。長い期間とれることに驚かれるかもしれませんが、通常の病気休暇は3ヶ月です。でも、ボクのように通常じゃないケース、つまり精神的な病気については最大6ヶ月という療養期間が保障されているのです。それがなぜなのかは、よくわかりませんが、治癒し復職するためにはそれだけの期間がケースバイケースで必要というのがあるのだと思います。それだけやっかいなのでしょう。そして、病気休暇の場合は、医者の診断書があれば比較的簡単にとれるようでが、休職となると、そう簡単なものではなく、都道府県、そして市町村のそれぞれの教育委員会で厳しい審査が行われ、休職が妥当なのかどうかを判断されます。それはそうでしょう。休職中でもカットはあるものの、最低限の生活を保障するための給料が支給されるからです。だからこそ、給料が支給されるということはボクにとってものすごく重たいものでした。「給料泥棒」という新たな十字架を背負って歩かなければならないことになったからです。妻は、「今まで精一杯がんばってきたんだから気にしないで」と言ってくれましたが、はっきり言ってつらいものでした。「給料泥棒・・・・」。ボクの6ヶ月の病気休暇は3月中途で切れるため、休職申請の書類を勇気をふりしぼって校長の自宅まで届けました。校長は病気休暇が切れると同時に現場に復帰すると思っていたようなので、びっくりしていたようでした。テーブルの上に、校長が作成した復帰訓練計画書が準備されてありましたから。

思い返せば昨年の10月、正装したボクは退職願を校長に提出しに行きました。でも、びっくりした校長は「とにかく待て!」といって受理しませんでした。「すべての責任をとって潔く辞める」と、すべての歯車が狂ってしまったボクの頭で必死に考えた結論でした。だって、投げ出したんですから。何もかも・・・。それですまされるとも思っていませんでしたが、病気休暇なんて全く頭によぎることはありませんでした。しかし、その後「まずGTUを休ませることが大事」ということで校長と教育長が話し合い、その後妻は同意を求められ、めでたく病気休職となったのでした。

その後は、地獄の日々でした。全てを投げ出し、おめおめと病気休職の道をたどってしまった自分を責めて、責めて、責め続けました。頭は混乱し、現場にいた頃とはうって変わって生活のリズムもめちゃくちゃになっていきました。夜は目がさえて眠れず、気を紛らわすため酒を浴びるほど飲みました。当然次の朝は起きられず、子どもたちが学校へ行く時に「行ってきます」と声をかけられても、ベッドに伏せたボクは「行ってらっしゃい」の言葉さえかけてあげられないだめな父親でした。「ごめん」といつも心の中でつぶやく毎日がどれだけ続いたでしょう。二日酔いと薬の影響もあってか、気力という気力はすべて萎えてしまい、意識がもうろうとなりながら寝ては起きるの繰り返しでした。ほんのまれに調子がいいときもあり、そんなときはビデオを見たりラジオを聴いたり、読書をして時間を過ごすこともありました。でも、そのことが一区切りつくと、忘れていた自責の気持ちがまた押し寄せてくるのです。「卑怯者」「給料泥棒」。自分にはふさわしい称号でした。毎日唇をかみしめる日々が続きます。週末は特に情緒が不安定になることが多く、家の中で荒れることがよくあり悲惨でした。ちょっとした妻の言葉や態度に気分を逆なでされ、妻に罵声を浴びせたこともありました。悲しそうに見ている子どもたちの視線を感じながら、そこら中の壁を殴ったり蹴ったり、手当たり次第当たり散らしました。ある時は妻に「こんな俺といても幸せにしてやれないから別れてくれ」と、こころない一言を突きつけたこともありました。妻はその時初めて嗚咽し、泣き崩れました。その姿を見て、さらに自分を責め、「ごめん」としかつぶやけないボクでした。

そんな日々を9ヶ月間送ってきた今、やっとこころ落ち着いて生活することができるようになってきました。本当に長い道のりでした。そしてわずかながらも、家事をすることもできるようになりました。掃除、洗濯物干し、食事の準備が主なものです。ただ、洗濯物干しは人の目をどうしても気にしてしまいます。見晴らしのいいベランダが恨めしいです。買い物も同様です。地元のスーパーにはまだ行けません。1時間程度車を走らせて、絶対に知っている人がいないと確信できるスーパーマーケットにだけ買い物に行けます。でも、買い物は楽しいことがわかりました。喜ぶ家族の顔を思い描くことができるからです。そして一生懸命作った料理をおいしいと言ってくれることがどれだけ嬉しく感じるのかもわかりました。今、専業主夫として家庭の中で存在感を感じることができるようになったのです。

そんなことぐらいで教師に戻れるのだろうかと不安もあります。でも、こんな弱い自分を人にさらすことは今までありませんでした。また、休職してしまったときの気持ちを人にふれられたくなかったし、自分でもふれたくないことでした。こんな言葉を聞いたことがあります。「一番言いたくないことは、一番わかってほしいこと」だと。ボクは今まで、かけがえのない家族と友人の無償の愛、主治医の先生のあたたかいご指導、そして何も知らない世界に飛び込んだボクのブログに遊びに来てくれた人たちの存在や心のこもったコメントを送ってくれる人たちの優しさを心に刻むため、記したんだと思えるのです。さらに一歩踏み出すために。

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コメント

私も病気で退職したり、休んだりしたことのある常勤講師です。
先日も調子が悪くて、1ヶ月ほど休みを頂いて復帰したばかりです。
まだ情緒不安定な部分もあって、辛い所ではありますが、不安定になったら初心に帰ることにしています。
どうして自分が教職を志したのか、どのように教育に携わって行けるのか、どのような教員になりたいのか・・・。
初めて学校現場に行ったときの、あの新鮮な緊張感を思い出しながら、日々頑張っています。
GTUさんも、自分を責めないでじっくり休んでください。

投稿: okb | 2005年7月13日 (水) 23:46

おはようございます。okbさん。コメントくださってありがとうございます。また、あたたかい言葉に感謝します。「どうして自分が教職を志したのか、どのように教育に携わって行けるのか、どのような教員になりたいのか・・・。」このことをやっとボクのこころと頭が受け付けてくれるようになりました。残された休職期間で今後のことをゆっくり焦らず考えていきたいと思っています。okbさん、復帰したら、必要以上にがんばりすぎてしまうんじゃないのかって心配です。現場の忙しさはよくわかっているつもりです。でも、きつくなったら、身体とこころをちょっと休ませてあげてください。絶対無理しちゃだめですよ。

投稿: GTU | 2005年7月14日 (木) 05:40

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