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理想と現実

今日で7月も終わり。時間のたつのは早いものです。

昨夜あった「女王の教室」は、またすさまじかったですね。いじめのシーンはもちろんのことですが、何かと教師に逆らう由介に卒業証書を手渡すところなどは、「これ、有り?」と思わず目を伏せてしまいました。

例のごとく中学生の長男は、「いらいらしてきた。むかつく!!」を連発。一方小学生の二男は、黙って番組を見つめていました。長男は、いじめている子どもたち、真矢先生を許せないといいます。

CMの間の長男とボクのやりとりです。「もし、先生が卒業証書を家に持ってきたらどうする?」「そんなものは受け取らないと、きっぱり先生に言うよ」「真矢先生みたいな人が担任だったらどうする?」「みんなで反抗するよ」「クラスでいじめられたらどうする?」「ボクはいじめられないけど、ボクはいじめを止めるよ」そんなやりとりを長男と交わしました。その時です。その横で番組を見ていた妻が「真矢先生がやっていることはよくわかる」といったものだから、長男の怒りの火に油を注ぐ形となったのです。

妻は、「常識をはずれた指導は最悪だけど、真矢先生の意図することは、どんな壁にぶち当たったとしても、最終的には自分で立ち上がる強さを持っていないと生きていけない。親や教師は、何かあったらすぐにその子のためということで手を差し出すけど、それは最後の最後にすべきことで、甘やかすことがその子への愛情と錯覚しているところがたくさんある」と言うのです。今、現場で子どもたちと立ち向かっている生の教師の声だと思います。

「こんな教師、学級は許せない!」と思っている長男から尋ねられました。「お父さんはこんな先生をどう思う?」と尋ねられたので、一瞬たじろいだのですが、「真矢先生が言っていることは、わからないこともないよ。和美が溺れたときにプールに迷いもなく飛び込んだところなんて、子どもを守りたい一心の行動だとわかるでしょ。でも、先生の本当の思いが子どもたちにストレートに伝わっていないことはやり方に問題があるし、やりすぎだとは思うよ。校長先生もがんばってしっかり先生たちをリードしてほしいね」とだけ答えました。長男は納得したかどうかわかりません。ボクは長男が思っているとおりの行動が本当にできるだろうかとは思います。それでも、多感な時期の長男が、番組で起こるいろいろな出来事を、自分の学校生活と重ねて、怒りをあらわにしている姿をみて「まだまだ世の中捨てたもんじゃない」と思いました。二男は相変わらず黙っていました。

そのあと、番組が終わり、おもむろに二男は「由介みたいにされたら、ボクは学校に行かないと思う。たぶん家で遊んでいる。いじめも止めることはできない。だって自分がいじめられるから」とぼそりと話しました。長男とは違う二男のとらえ方もそれはそれで現実だなあと思います。ただこれからも、日常におきるいろいろな出来事を材料にしながら話をし、人として生きるために大切なこと、必要なことは何なのかを一緒に考えていきたいなあと思いました。

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懐かしくて

ラジオを聞いていたら、30年ぶりに蘇ったヨーヨーがおまけについたコカコーラ、スプライト、ファンタの復刻デザインボトルがセブンイレブンから販売されていることを知りました。あの若かりし日々と共に過ごしたヨーヨーが懐かしくて、さっそく妻に買ってきてもらいました。 DSC02597

盛り上がったのはボクだけで、ちょっと悲しいものがありましたが、十分こころの癒しになりました。このあと、子どもたちもかわいそうに思ったのか、ヨーヨーにつきあってくれました。たまにはこんな息抜きもいいものです。(^o^)DSC02600

それと、今日「女王の教室」がありますが、子どもを横に座らせてしっかりみたいと思います。

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女王の教室

今「女王の教室」というテレビ番組が注目されています(読売新聞)。この番組に関しては至る所で論議されているようなので、いまさらという気もしないではないのですが、同じ立場の教師としてこの番組で感じていることを率直に書きたいと思います。

すべての番組は視聴率を上げるという宿命を持っていますから、あまりにも誇張しすぎているし、教師の立場から言っても、目を覆いたくなる部分もあります。でも、現場ではこのドラマと同じ様な状況があったり、このドラマを見て考えさせられるところもたくさんあります。たとえば、「成績絶対主義」ともいえる指導法を主人公の真矢先生はやっています。子どもを奮起させる一つの手段として、テストの点数の悪い子どもに雑用係をさせるというのがそうでしょう。ボクは人間の値打ちは成績がすべてではないという考えで教師をしてきました。また、一人一人の良さを見つけ、お互いに認め合うことが大事であることを子どもたちに問い続けてきました。でも、現実には義務教育の最終段階として最後の最後に受験という厳しい壁が立ちふさがります。受験の合否は内申書の教科の評定と、受験当日の取れた点数で合否が決められます。内申書の成績がよかったり試験の点数を取れる子どもであれば志望校に合格し受け入れられ、どんなに性格的に素晴らしい子どもでも成績が悪く、点数を取れない子どもは不合格として学校側から否定される立場になるのです。そこは本当にシビアな「成績絶対主義」の世界です。3年間で(小学校から入れると9年間)大切に暖め、育んできたこととこの世界とのギャップに直面し、そのねじれ現象に多くの教師は立ち止まり、悩んでいます。もっと一人一人の良さを合否の判断基準にしてほしいと願いながらも、虚しい絵空事にしかなりません。だからこそ、学力をつけなければならない責務が課せられているんだと思います。現場では様々な取り組み、たとえば一つの例として授業改善、小テストや再テスト、補充学習、家庭学習の点検などにとりくんできました。でも、本当に子どもたちに学力をつけることができたのかと問われると、堂々と胸を張って答えられないところもあるのは確かです。指導の技術的な未熟さはもちろんのこと、熱意さえも欠けた教師がいることも事実です。ドラマの中の真矢先生のような指導は現実的にはできません。それは、問題が少しでも生じると、保護者のクレームはもちろんのこと、公立校の場合、管理職や教育委員会からの強い指導が入るからです。こういう指導をしたからこんなに伸びましたというような結果が得られれば、納得もするかもしれませんが、小学校とは違い教科担任制をとっている中学校では難しい問題があります。指導やクレームを無視することは、自分の身分や立場が保障されません。異動?停職?不適格教師の烙印?解雇?でも、あくまでもドラマですが、このことを百も承知である種の信念を持って指導をしている真矢先生の姿が、教師がえてして持ちがちな「妥協する」姿勢を、「教師たち、本気なのか」と辛辣に問うているのではとドラマを見ていて感じるのです。「教師に逆らうと罰を与える」にしても行き過ぎの面は否めません。特に生徒を失禁させてしまうことなどは学校教育法11条、文部省初等中等教育局教務関係研究会「教務関係執務ハンドブック」でいえば、厳しく禁止されている体罰です。ただ、その考え方や方法の是非を問うことが大切ではなく、毅然とした態度で子どもと向き合うことができない教師や親の姿を浮き彫りにさせたかったのではないでしょうか。そこが、「愛することと甘やかすことは違います」(第3話)という真矢先生の言葉に象徴されていることではないかと思うのです。

また、いじめのシーンがあまりにもかわいそうだ、いじめを増長させるから番組を打ち切れという意見があります。確かに、一緒に見ているボクの子どもはいらつき、腹を立てています。でも、きれい事や甘い考えでは解決できない、厳しい子ども社会の現実を受け止めさせなければならないのではないかと思います。実際に現場では陰湿ないじめはあっていました。また、子どもたちの人間関係の希薄さには、愕然としたこともあります。昨日の味方は今日の敵という言葉があるように、子どもたちの人間関係は常に微妙です。子どもたちなりに子どもたちの世界で生きていくために必死なんですね。ただ、絶対にいじめを肯定してはいけないと思います。それこそ、教師、親としての毅然とした態度が子どもたちを救う唯一の手だてだと思うのです。

世間では、このドラマの是非を問い、騒ぎになっていますが、どの番組でも功罪はあると思います。教師は教師として、親は親として、子どもは子どもとして、それぞれの立場で学ぶべきものがあるということです。全否定することが一番簡単です。でも自分の子どもだけ見なければそれで済む、打ち切りになればそれで済むとはどうしても考えられません。子どもたちは子どもたちの世界で生きているわけですから。番組を見た当初、あまりにも極端な内容で、今までの自分が否定されるような錯覚さえ覚え、ボクにも拒否反応がでました。でもかみ砕きながらその後を見てみると、番組が訴えかけてくるんです。「自分だったらどう考え、何ができるのか。そのことに満足できるのか。」と。この視点を忘れては、ドラマにも社会にも飲み込まれてしまうのではと心配します。だから、今後もこの視点でボクの子どもと一緒に見ていきたいなあと思うのです。

最後に、このような番組が制作されるということは、現在の日本はまさしく危機的状況かもしれませんね。  

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ささやかな喜び

ニュースを見たら、暗い話題が多いですね。今日なんかでも、スペースシャトルの機体の耐熱タイルの一部と外部燃料タンクの断熱材がはがれ落ちたこと、1968年の調査開始以来、日本の男性人口がはじめて減少し、人口増加率も過去最低を記録し少子高齢化がいっそう高まったこと、日本の借金が1000兆円に達し、赤ちゃんを含めた一人あたりの借金に換算すると600万円に上ることなど、元気が出ない報道が目立ちます。自分のことでいえば、最近よく夢を見て、うなされている自分もいます。

毎年3月31日に集計される「2005年住民基本台帳に基づく人口動態」の総務省調査では、出生数は過去最低の百十万四千六十二人とありました。確かに過去最低の数字かもわかりませんが、細かく計算してみると、28.571秒に一人の赤ちゃんが誕生していることになります。こんな風にブログを書いていたり、食事をつくったり掃除をしたり、時にはへこんでいる間でも、日本のどこかでかけがえのない命が誕生していることに、人間のいのちの時空を超えた神秘さと尊厳さ、そしてささやかな喜びを感じさせてもらっています。仕事に埋没していたときは、こんなことを考えたり、感じる余裕さえなかった頃と比べ、平凡で変化のない生活のなかでも毎日の喜びを見つけ出そうとしているボクがいます。

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11時39分

皆さんがすでにご存じのように、昨日の11時39分(日本時間)、日本人飛行士野口聡一さんが搭乗したスペースシャトル「ディスカバリー」が、アメリカフロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられ、無事打ち上げは成功しました。

ボクは、今までのスペースシャトル計画に関するニュースに対しては、打ち上げから帰還までの事実を認識するだけにとどまっており、「宇宙」はあまりにボクにとっては大きすぎて、それほど興味ひかれるものではありませんでした。でも、今回の打ち上げは今までになく注目し、その成功を願っていたのです。というのも、2003年2月の「コロンビア」空中分解事故を経てのはじめてのシャトル打ち上げだったからです。ボクも「コロンビア」が地球に帰還するときに起こった事故の悲惨なシーンをはっきり覚えています。

13日に燃料残量センサーに異常を起こし、原因さえ特定できぬまま打ち上げられた今回、知識のないボクは、アメリカの無謀さにあきれました。延期ができない事情として、政治的な背景、今後の予定、それに付随する経費の問題など、監視体制は十分だったというものの、リスクを承知で打ち上げられたことに憤りさえ感じました。

でも、「ディスカバリー」は見事に飛びたちました。今回の打ち上げは、NASAが全力を傾けた安全対策が有効かどうかを検証することが最大の任務だといいます。諸般の事情からNASAはNASAなりのギリギリのタイムリミットが設定されていたんだと思うのです。

万全の体制ではないにしろ、諸般の事情をふまえ、危険なことを承知で飛びたたねばならなかった今回の現実。そして重くのしかかる2年半前の悲惨な失敗。このNASAとスペースシャトル「ディスカバリー」は、タイムリミット付きの中で飛びたたねばならないボクそのものだと思ったのです。自分の問題とアメリカという大国の威信をかけた国家プロジェクトと比較しようもないのですが・・・・、そういう思いをしながら打ち上げをみていました。まだまだ予想できない不安のある中で、任務を全うして帰還するであろう「ディスカバリー」を最後まで見届けたいと思います。これからも様々な任務、困難が待ちかまえていると思いますが、ぜひ無事に目的を完遂してもらいたい・・・・。そう願うしかありません。ボクの夢も乗せて。

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神さま、助けてください

先日、USJを断念したことを書きました。その後の家族会議では石垣島なども候補に挙がったのですが、結局、車で1時間程度離れた妻の実家にはなをつれていくことで収まりました。「最後はこうなったね」と話していたところでしたが、今日テレビを見ていて穴場を見つけました!(^^)!。

それは山口県の角島(ココ)というところです。映画「四日間の奇蹟」の舞台にもなったこの島は、山口県豊北町の北西約1.5kmの海上にあって、人口は千人足らず。鼓形をしたなだらかな丘陵の島です。島の両岬が牛の角に似ていることから角島と名付けられたと伝えられています。また、平成12年11月3日には、1,780mの延長となる角島大橋が完成し、通行料もなんと無料。ドライブで日本海の絶景が堪能できるのです。また、この島にある大浜海水浴場は水質ランクAA!!コバルトブルーの沖縄の海に匹敵する透明度を誇っています。食事も海水浴場のすぐ近くで、地元で取れたてのサザエの壺焼き、イカの姿焼き、ウニ丼、わかめソフトクリームなどを食することができ、想像しただけでよだれものの穴場スポットなのです。「ここだったらはなを連れて遊びに行ける!!」嬉しくてたまりません。(^o^)天は我を見放さず、ってな感じです。あとは時間調整、がんばります。行ったあとに報告させてもらいますのでお楽しみに・・・・・。

ところで話題を変えて・・・。一昨日の夜、中学生の長男の保護者の方から電話がありました。その連絡は、急遽明後日(つまり本日)、学年出校日になったので、9時までに子どもを学校に登校させてくださいとのことでした。どうしたんだろうと長男に尋ねたところ、長男曰く、「夏休みに入って、1年生のテニス部の女の子が部活動に行く途中に事故にあったからじゃないかなあ」と。またその子は今でも意識不明の重体で現在も集中治療室に入院していることなども聞きました。同じ親としてもたまったものじゃないなあと思います。まさか、元気に出かけた我が子が生死をさまようような状況になるなんて思ってもみないですから。考えれば考えるほど他人事ではありません。

学年出校から帰ってきた長男は「やっぱりそうだったよ。1時間話があったよ。そのあとは自転車点検があった。」と話してくれました。昼食を食べさせたあと、長男は午後からある部活動に出かけましたが、複雑な思いで送り出しました。

どうか、神さま。その子を助けてあげてください・・・。

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仕方ないよ

朝ニュース番組を見ていました。その中で「JR宝塚線脱線事故」のことがふれられてありました。事故がおきてからちょうど今日で3ヶ月たつことを知りました。また、その事故で辛くも命を救われた女性の方が、事故の後遺症と闘いながら懸命に生きようとしてある姿を紹介していました。あれだけ毎日、事故の報道を見ていたのに、たった3ヶ月でボクの記憶の遙か遠くに行ってしまっていたんです。自分のことながらちょっとショックでした。

他人の目を異常なまでに気にし、気持ちが落ち込んでどうしようもない時期のこと。ある日車を運転しているときに、なぜかふとこころに浮かんだことがあり、そのことをすぐに手帳に記しました。(以下原文そのまま)

****

人の眼を気にする必要はない。

だって、こんなに悩み、苦しんでいるのをわかってくれるのは、

とことんまで助けてくれるのはほんの一部の人間しかいない。

必要以上に気を遣い、臆病になることに何の意味がある。

人に期待しない。結局自分たちしかいない。

だったら、何にも恐れる必要なんてないんじゃないか。

ギリギリのところに立ったとき、助けてくれる人だけを心の支えにしよう。

甘えたこころを捨てよう。

俺は生まれ変わる。八方美人、必要ない気遣いはやめにしよう。

復活する。必ず。

****

このことはボクにとって、まさしくボクの価値観を根底からひっくり返し、これまで生きてきた中で構築されてきた人間性を全否定するものに値すべきものでした。このようなことを考えた自分が不思議です。違う自分に気づいた瞬間と言えるかもしれません。でも、そう考えなければ生きていけなかったのかもしれません。とにかく、自分が生きることから始めてみようと考えたのです。そのことがあって、抱えきれないぐらいに重かった「休職という十字架」から解放されたような気がして、少し楽になりました。以後、職場復帰のことも少しずつ考えられるようになっていったのです。

この考えがすべて正しいとは思いません。ボクのこころの中には依然として、今までの自分がいるからです。以前のボクだったら、「JR宝塚線脱線事故」そのものや、事故で亡くなられた方や遺族の方、心や体に傷を負った方の思いや願いを忘れてしまっていた冷たさ、鈍った感性、己のふがいなさを責めたことでしょう。そしてまたもや重たい十字架を背負おうとしたかもしれません。職場でも地域でも家庭でもそうでしたから。でも、今ボクを見つめ、許し、手をさしのべてくれる「もう一人の自分」が、今回のことでも「そう自分で責めるなよ。仕方ないよ。」と言ってくているようです。

だから今日も、自分のことを許すことができました。

とりとめのないことをだらだらと書いてしまいました。ブログをはじめて、今日でちょうど1ヶ月になります。今まで遊びに来ていただいた方、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。

 

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家庭内の異変!?

家庭内に異変があります。それは、二男のことです。「だめじゃないよ」で紹介した彼が、誰から言われることなく、夏休みの宿題を黙々と自分からやっているのです。いったいどうしたのでしょう。

今までの彼は、自分からすすんで学習に取り組むことはきわめてまれでした。ちびまる子ちゃんのように、親の心配をよそに瀬戸際まで思う存分夏休みを楽しみ、いつも親をやきもきさせてくれていました。昨年なんかは学校から稲を持って帰り、夏休みに「稲の観察記録」を書くという課題が課せられていたのですが、見事なまでに稲を早々に枯らし、3ページのペラペラな観察記録を臆することなく作り上げました。また自由制作や絵画も、夏休みが終わる何日か前に目にもとまらぬ早業で完成させ、どう見ても鑑賞に堪えられないほどの作品を作り続けた実績がある彼です。それが今、7時からあるラジオ体操が終わったあとの1時間、寝る前の1時間、部屋にこもって必死にがんばっているのです。早く宿題の呪縛から解放されたいと思っているのかもしれませんが・・・・(笑)。それに加え、友達からもらってきたクワガタムシのお世話もちゃんとやっているのです(ブログ「いのち」を参照してください)。理由はあえて聞いてはいません。

彼がこの世に誕生する際のエピソードを、ボクのブログに遊びに来てくれるかなりんごさんにコメントとして書いたことがあります。そのコメントを紹介させてください。

*****

実は、二男がお腹にいたとき、妻がかかってはいけない風疹になってしまったのです。風疹になれば、子どもにいろんな障害がでるということを聞いていて、大変心配しました。妻は動揺するし、どうしようかって。で、ある決断を抱え、産婦人科に朝行ったのです。朝一番ということもあって、受付時間はまだだったので、二人(厳密に言えば三人)駐車場で待っていたんですね。すると、そのときに限って子どもが妻のお腹をどんどん蹴るのです。駐車場で待っている間、それは続きました。ボクは決断しました。「どんな障害を持った子どもであってもボクたちの子どもなんだから・・・。もう帰ろう」そんないきさつで生まれた子どもが二男です。幸いに元気な姿で今まで大きくなってくれました。ただ、人間という生き物はどうして欲張りなんだろうと思うのですが、元気で育つことだけを願っていたものが、「やれ勉強だ。やれ○○だ」と思ってしまうことがあるんですね。(以下省略)

*****

彼と向き合うときには、あのときの忘れもしないシーンが必ずよみがえります。この世に生を受け、生まれてきてくれたこと、たくさんの思い出を残してくれていることに感謝しています。たしかに「しつけ」ということで言えば、十分な親ではありません。いろいろなことが長男のようにできない彼を「自主的にやれないと何の意味もない」などと言いながら、結局今まで放任し、甘えさせてきたのかもしれません。また、生まれる際のエピソードを親の免罪符に利用していたのかもしれません。それなのに、ボクがこんな状態にもかかわらず、何かを感じ考え、ある決意を秘めて毎日を送ろうと行動していることが、嬉しいのです。なぜ今年の夏休みに彼は変わったのか。ボクが通知表を見たあとに、二男を「だめじゃないよ」と励ましたように、彼もボクに「だめじゃないよ、お父さん」と、自分の変わった姿を見せて励ましてくれているのかもしれません。

今日、二男は朝早くスポーツ少年団主催の交流試合にいきました。今、一試合目が終わった時間でしょう。残念ながらボクは相変わらず応援に行くことはできません。でも、家で応援しています。がんばれ!!

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一進一退

今日の深夜、夢を見ました・・・・。

*********

ボクは中学校の教師なのに、

なぜか、地元の小学校の職員室にいた。

ボクはちょうど、その小学校に転任したきたようだ。

薄暗い職員室にはたばこの煙が充満していて、息苦しかった。

周りの教師たちを見回すと、知っている教師が右往左往していた。

ボクの存在を無視するかのように、ボクの横を忙しそうに通り過ぎていく。

話しかけようとするが、声が出ない・・・。

頭が割れそうなぐらいに痛くなっていく。

見渡すと、同期の仲がよかった教師を見つけた。

そいつのところに走り寄って、話しかけた。

するとそいつは「仕方ないよ」とボクに言った。

(ちくしょう!馬鹿にするな!)

「お前たち。いい加減にしろ!」と叫んだ。

自分の怒鳴り声で目が覚め、妻も驚いて跳び起きました。時計を見るとちょうど3時。妻に一言謝り、横になりました。どうしてこんな夢を見たのかわかりません。以前も、休職に入ったときに、同じような夢を見てすごく気持ちが落ちていったことがあります。最近「根岸のねこの日記」というブログに出会い、根岸のねこさんが今懸命に闘ってある姿と来たるべく自分の姿を重ねています。

人のブログのコメントなどでは「焦らないでぼちぼちいきましょう」などと、偉そうに書き込んでいるのですが、何を隠そう、ボクも意識の中で職場復帰を急いでいるのでしょう。時間が無限にあるわけではありません。どのようなことにもすべてタイムリミットが設定されている現実を無視できません。今のボクは以前に比べると表面上こそ安定しています。でも、もう一人の自分が、「あせり」と「不安」がボクのこころにきっちり潜在している事実と、だからこそじっくり時間をかけ、急いではいけないことを改めて教えてくれるために、こんな夢を見させてくれたのかもしれません。

一進一退、それもいい。トータルで少しでも前に踏み出せていれば、御の字だ。

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USJよ、来年逢おう!

朝食準備完了!後片づけ完了!掃除完了!洗濯物完了!買い物完了!ということで、今日は朝から主夫がんばりました。今日は金曜日。テンションがいつもより少しだけ高いのが自分でもわかります。とは言っても、妻は仕事、長男は試合、二男は勉強を終え、早々に友達のところにルンルンで遊びに行ったので、夏休みといっても普段とあまり変わらない金曜日です。愛犬はなと二人きりです。買い物は天気がよすぎて、日焼けしていないボクにとっては結構この日差しは応えました。でも、久々に遠出をして、車をぶっ飛ばし気分がよかったです。

朝は、ちょっと眠たくてつらいものがありました。それは、昨日夜中の2時まで妻と、夏休みの計画をたてていたからでした。ボクは今年はこんな風だから、夏休みにどこかに遊びに行くことなど特別考えていませんでした。でも昨日、妻が帰宅するなり、「USJに行こうか」とボクに誘いをかけてきたのです。というのは、USJに遊びに行く予定だった職場の同僚から、「ホテルをキャンセルしようと思うから、自分たちの代わりにそのホテルを使わないか」という話を聞いてきたからでした。どうしようかと考えあぐねていましたが、子どもたちも乗り気だったので、「電車男」を見た後、子どもたちが寝静まった頃から妻と二人で計画をたてることとなったわけです。

交通手段、所要時間、ホテル、経費などネットであれこれ調べているうちに、あまり乗り気でなかったボクもその気になりだし、妻とああだこうだといいながら、盛り上がりました。USJ近くの「fiftys」というホテルはあまり大きなホテルではなかったのですが、リーズナブルな料金でした。経費節約もあって車で行き、そのホテルに泊まろうということになりました。その時でした。近くで何かうごめく声がしたのです。「うっぐぐ、ぐぐっ・・・・」「何?」妻と顔をつきあわせました。

それDSC02596は、はなの寝言ともとれる不思議ないびきでした。そう、いつも一緒の寝室の床に寝るはなが、ボクたちを待っていて、待ちくたびれたのかソファーで寝ていたのでした。 「大切なことを忘れていたね。お馬鹿だね。ボクたち・・・」それからはなをどうするか考えました。誰もいない家に置いていくことはできず、親戚に頼むのは無理だし、世話を頼める近所づきあいをしているわけでもないので、はたと困りました。妻は、はなを買わせてもらったブリーダーのところが一時ステイをしているので頼もうかとも言いましたが、答えが見つかりませんでした。「USJに行こう!」と盛り上がったものの、一番大切なことが解決されぬまま、今日の朝、子どもたちの判断を仰ぐことにしました。ボクと妻の腹は決まっていたのですが・・・・。

子どもたちに今朝、ことの始まりから昨日から深夜にかけて考えた計画とはなのことについて話しました。二人とも行ったことのないUSJを楽しみにしていたと思うのですが、「わかった。今年はやめようよ。でも、近くでペットと一緒に泊まれるホテルを探して、そこに行こうよ」と言ってくれました。ボクたちより彼らは大人です。ありがとう。

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GTUのわけ

昨日に続き、ケジメ第2弾としておつきあいください。

今日でブログをはじめて25日になります。あっという間に時間が過ぎてしまいました。ということは、ボクの生活はそれなりに充実している証でしょう。ブログを始めるに当たって、最初に悩んだのは自分のニックネームでした。そして考えに考えたあげく、GTUにしました。ご存じの方がほとんどだと思いますが、マンガやテレビ、映画で人気だったGTOからとりました。自分のことをグレートな教師だと言っているようで躊躇したのですが、やっぱりこれしかないと決めました。

教師を目指した大学生時代、そして教師になってからの目標は「金八先生」でした。金八先生のように、子どもと正面で向き合い、泣き笑いできる熱い教師になりたいと思っていました。そのイメージを大切にして、ボクの教師生活は続いていったわけです。若い頃は特に、ドラマの脚本でも十分使えるような事件やドラマがたくさんありました。本当に泣き笑いの毎日で、きつかったけれど、思い出がたくさん詰まった教師生活を送ることができました。これぞ青春!このときの思い出は今でも鮮明に残っていて、同窓会でも教え子たちと盛り上がります。

でも、昨日書いたように、歳を重ね、厳しい現実と直面するたびに、「金八先生のようにはできない自分」を感じはじめました。「金八先生は所詮きれい事だ」と自分勝手ないいわけで自分の至らなさをごまかし、金八先生そのものを負担にさえ感じるようになっていきました。若さだけで乗り越えられた頃とは違い、今まで経験したことのない事件や事故、指導が通らない子どもの現実が目の前に立ちふさがっていて、悩むことが多くなっていった時期でもありました。テレビドラマの「GTO」に出会ったのはそんなときでした。

学校からヘトヘトで帰ってきたボクに、妻が「おもしろい学園ドラマが始まったよ」と教えてくれたのです。さらに、「主人公の人、あなたに似てるよ」といわれたものだから、つい調子に乗って見だしたのが始まりでした。(妻が言ったことなのでお許してください)

内容ははっきり言ってむちゃくちゃなものでしたが、ぐいぐいと引き寄せられ、毎回見るのが楽しみになっていきました。「おいおい、生徒の家の壁を壊すかよ」「生徒をそんなにボコボコにしたら処分になるでしょ」自分が絶対にできないことを「鬼塚先生」はブラウン管の中で演じていました。「世間体なんて関係ない。生徒のためだったら、教師たちや管理職、保護者、学校役員を敵に回してでも自分の信じたことを貫き通す」それが鬼塚先生のプライドだったんだと思います。当時、なんと新鮮に感じたことでしょう。教育の原点を忘れかけそうになっていたボクを目覚めさせてくれたのです。

そんな思いを大事にしながら、自分なりに精一杯がんばってきたボクでしたが、見事にこわれてしまいました。休職して9ヶ月、導かれるようにブログを立ち上げたボクは、あのときの気持ちにもう一度帰ってみたいと思ったのです。いいえ、思えるようになったといった方がいいのかもしれません。教育の原点、それは「目の前にいる生徒と正面から向き合うこと」それしかありません。そう、一教師でいいんです。

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プライド

ボクはプライドの高い人間です。プライドがあったから今まで教師としてがんばってこれました。でも、そのプライドでボクはつぶれてしまいました。

子どもたち、そして妻は今日、終業式でした。子どもたちも教師も、4月から4ヶ月間の学校生活を振り返り、二学期に向けて新しいスタートを切る節目となる大事な日です。ですからこの日にボクも、自分のけじめとして今までの自分のことを記そうと思ったのです。

ボクは小さい頃から気を遣う人間でした。それは幼い頃の生活背景から培われたものです。(よければ「人のために生きよ」を見てください)先天的に粗暴な面も持ち合わせながらも、人に気を遣うようになってしまったボクは、だんだん「優しい人、いい人」としての役割を果たし、いつの間にかちやほやされる人間になっていきました。周りからも信頼され、友達もボクのことをそんな目で見ていきました。

教師になってからも、俗に言う「いい先生」としてみられてきたと思います。問題行動を起こした生徒を「その子のため」と厳しく指導したことは数知れず。でも今のように教育委員会や校長にダイレクトに苦情があげられるということは皆無で、生徒や保護者から全幅の信頼を受ける教師だったと思います。それから教師経験を重ねるごとに自信が自信を呼び、怖いものはなくなっていきました。授業では社会科が嫌いだった生徒を好きにさせたり、部活動でもともに汗をかき、それなりの成果を作り上げていくことに自信を深め、プライドは揺るぎないものになっていきました。

順風満帆だった若い頃と比べれば、中堅の年になり、若いときには感じなかった授業や部活動指導の難しさで壁にぶち当たったこともありました。でも、今までの経験と必死の努力で回避することができました。そうこうするうちに、一般企業やセンターに長期研修に行き、期待を一身に受けることになったボクは、鉄壁の防御と攻撃を兼ね備えた教師になっていったのです。しかし、そんなボクはもろくも崩れ去ってしまいました。

鉄壁の防御と攻撃を備えていたと思っていたボクの教師生活におけるプライドは、ズタズタになりました。ボクのプライドっていったい何だったんでしょう。

プライドとは「自尊心、自負心、誇り」です。今まで、子どもたちにことあるごとに「プライドを持て」と言ったこともありました。でも、どうやらボクのプライドは、人から有益な人間であると認められ、人より勝っているというつまらない優越感から得ていたものであることが、休職をしてやっとわかりました。気づくのが遅かったけど、仕方ないです。

今日の午後、予想もしない先輩教師が自宅に来られ、文書を届けてくださいました。先輩教師は一昨年まで同じ学校で、今年の異動でボクの学校に来られた先生でした。でもその先生をボクは見下していたことがありました。5分程度でしょうか、その先生と家族連れで行った釣り堀の話や部活動の近況について話しました。そして最後に、「ゆっくり休んでまた一緒に仕事をしよう」と言ってくださいました。今までの自分を許してください。そして今日はボクのために時間をとっていただいて、本当にありがとうございました。ほんとに馬鹿なボクです。

自分でケジメをつけようと書き出したのに、まとまりのない文章になってしまいました。ごめんなさい。

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ゴルフをやめた理由

この2日間はほんとに疲れました。というのも、コンピュータの調子が悪く、3度も初期化をしたにもかかわらず、「フリーズ」の繰り返しで、お手上げ状態になってしまったのです。初期化はしたくなかったのですが、メーカーに相談して初期化を決意。データを移し替えたり、ソフトを入れ替えたり、インターネットやメールの設定をし直したりと、機械を扱うのが昔から得意でないボクにとっては結構重労働でした。

それが何と、3回やって3回とも「フリーズ」。家族の心配をよそに、最初は結構余裕をみせていたボクでしたが、1回目の「フリーズ」の時はさすがに「むかーっ!!」2回目は「なめとんのかーっ!」もう3回目に至っては、悟りの境地に達したのでした。去年4月に買って、動作が遅いのが気になりつつも2ヶ月間しか使わなかった、新品同然のコンピュータがどうして?よっぽどいいコンピュータに当たったのだろうなあ。トホホ・・・・・。この2日間の時間を返して~。友だちにもアドバイスをもらいながらも、結局メーカーに修理に出すことになってしまいました。コンピュータから遊んでもらった2日間でしたが、今、炎上一歩手前だったコンピュータ(「海猿のごとく」で紹介したコンピュータです)が頑張ってくれています。戒厳令下?の作業も疲れます。ありがとう。

ところで、ブログを読んでいたり、書いていたりしているときはこころが穏やかで、落ち着いています。ブログのデザインやBGMを変えたりしていると楽しいし、いい気分転換になっています。だからつい、コンピュータの前に座る時間がどうしても長くなって、家族に心配をかけることもたまにあります。家事も以前に比べたらちょっと手を抜いているかもしれません。ごめんなさい。ただ、ブログで気が紛れていることは事実です。

そんな中、ふとした時間に現実に戻り、すごく不安な気持ちになることもよくあります。どうにかなるさと思うのですが、一方では大丈夫だろうかと揺れます。そのことを整理して、一歩踏み出すための時間を今十分与えてもらっているんだと、自分のこころを繕っています。「根岸のねこの日記」のブログを知り、懸命に闘ってある根岸のねこさんの姿が紹介されていて、将来のボクの姿と重なって仕方ありません。

 ボクはまだまだのようです。でも、以前に比べたらとても楽になりました。

ところで新聞を見ていたら、タイガーウッズが全英ゴルフトーナメントで優勝し、彼のコメントがのっていました。

  「体調も風向きも毎日違う。

  大事なのはそれらを察知して、適応していくこと」

ウッズのようになれないけれど、今のボクにとって、それから復活した後のボクにとっても、いつまでも心に残しておきたい言葉だなあと思いました。以前のボクは、それができなかったから、ゴルフをやめたのかもしれません。

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通知表の重さ

学校で言えば、1学期もおわりに近づいてきました。前回、通知表のことを書きましたが、その後の話の続編ということでおつきあいください。

日頃は怒ることがほとんどない妻が、二男の通知表をみた時珍しく腹を立てたのです。でも、成績のことで二男を怒ったんじゃないんです。それは・・・・

二男の通う学校の通知表は、見開きの左側は主に学習のようすのスペースになっています。そして、右側は「総合的な学習の時間」のようす、学級や児童会のなどの特別活動のようす、生活のようす、出席のようすという項目があり、授業以外の学校生活をどのように過ごしてきたかがよくわかるようになっています。その項目の一つ、「生活のようす」の欄をみて、妻が怒ったのです。

なぜかというと、「基本的な生活習慣」、「責任感」、「公正さ」など、細かく10項目あるのですが、二男はその中の1つの項目だけに○が付けられていました。そして、本当はそのほかの2項目にも○が付けられていたようですが、見てもはっきりとわかるぐらいに砂消しゴムで2つの○が消されていたのです。消されていたから一層目立ってしまうのです。

妻は、書き損じのための予備があるはずなのに、なぜ担任の先生は新しい通知表に書き直されなかったのだろうというのです。その感性が信じられないと。ボクは妻より先に通知表を見て、○が消されていることには気づいていました。とても目立つものですから、たぶん二男も気づいていたことと思います。ボクは「まあ、仕方ないか」と思っていました。でも妻は、どんな思いをして通知表を保護者や子どもが見ているかを考えれば、「私だったら書き直す」といいました。

ボクが思うに、通知表は子どもたちの学校生活のすべてを表しているものではないと思います。もしかしたらほんの一部分かもしれません。もし、それはまちがっているという教師がいるならば、それはあまりにも教師の傲慢だと思います。いくら長い時間、子どもたちと時を過ごしたとしても、その子のすべて(こころの中も含め)が理解できるはずはありません。わかっているつもりでいるだけなのです。そんなことは不可能だし、理解されるほど人間は簡単な生き物でもありません。だから、この子は責任感があるとか、みんなのことを考えていないなど、その子どもの人間性なりを評価すること自体、本当に可能なのかと考えてしまいます。教師に反抗したり、荒れた行動をしている子どもがいたとして、その子を見た目のままで評価するのは手っ取り早く簡単です。でも、子どもたちは揺れています。生活背景も重たく横たわっています。懸命にこころの中でいろいろな葛藤をしています。大人に逆らったり、裏切ったりしてはいけないとわかっています。だからこそ、通知表をつけるときにとても悩んだし、通知表そのものが一体どんな意味があるのだろう、気休めに過ぎないのではないかって考えてしまいます。現場にいたときは、○ひとつ付けるのにも悩みました。そして結局、子どもたちをいくつかの項目の枠に無理してはめこまざるを得ませんでした。

ボクは通知表をつける立場から離れ、子どもが持って帰ってくる通知表を待つ保護者の立場にいます。こんなこといって、実は結構、通知表は気になりました。特に、学校に行けなかった保護者として、我が子の4ヶ月にもわたる学校生活がどうだったのかを知る手だては、通知表でした。そして一喜一憂するんです。

今、ボクの横で妻が通知表をつけています。一昨日から寝ないで、悩んでつけているようです。気分が乗らないと書けないと言います。私もそうでした。機械的な仕事ですませたくはないのです。書いているときも子どもたちや保護者の顔が浮かびます。一人一人との思い出が浮かんできます。通知表をつけることに悩む教師でいたいねと話しています。たかが通知表です。されど通知表です。

だから、妻は怒ったんだと思うのです。ボクはまだまだ修行が足りません。

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復旧活動

こんばんは。これまで毎日記事を書いてきたのですが、先日書いたPC君炎上事件(ご存じない方は記事の「海猿のごとく」を読んでください)と、その代打のPCちゃん(昨年4月に購入しました)がすねて固まってしまうので、その復旧作業で1日費やしてしまいました。初期化したのは久しぶりでした。今日中にどうにか滞らないように、PCちゃんの設定とデータ移動をがんばりたいと思います。せっかく遊びに来ていただいた方には申し訳なく思います。ごめんなさい。GTUより

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人のやさしさ

これは2日前の話です。いつものように自宅から遠く離れたスーパーマーケットに買い物に行きました。アンテナを張り巡らし、人目を気にしながら、メモを片手に急いで食材を購入し、店外へ出ました。そして車に乗ろうとしたときです。「GTU君じゃない?」と声をかけられました。鼓動が高鳴りました。

誰にも会わないように細心の注意を払ったつもりでした。恐る恐る振り返ると、その声の主は、ボクが中学生のときに国語を教えていただいたI丸先生でした。I丸先生は、何故かいつもボクのことを気にかけてくれていて、30年前のふくよかで、化粧がちょっと厚めだった姿を今も覚えています。誰に似ているかと聞かれると・・・・そうですね~。細木数子さんと淡谷のり子さん(知っている方はほとんどいないと思います)を足して2で割った感じでしょうか。ちょっと濃い感じですが、荒れた生徒に臆することなく指導されていた熱血漢あふれる女教師でした。今から10年ほど前、ボクは母校の教師として転任したのですが、I丸先生もいらっしゃって、ボクが教師になったこと、同僚として共に働けることを本当に喜んでくれた先生でもありました。余談ですが、中学時代のI丸先生との思い出は、国語の期末テストを受けていたときに、な、なんと、答えを教えてくれたことです。正確に言うと、問題作成者として教室にこられ、机間巡視をされた後、僕の机の横にこられました。そして裏をむけていた答案用紙をひっくり返し、ひとしきり見た後に、ある箇所をコツコツと指でたたかれたのです。なんだろうと思ってその箇所と問題を見比べると、なんと間違っていたのです。答えを書き直したことを確認したI丸先生は、不思議な笑みをたたえ、教室から出て行かれたのでした。九死に一生を得たとはこのことです。(もう時効成立ということで許してください)I丸先生は3年前に定年退職されていました。

I丸先生はさぞびっくりされたと思います。こんなところで真昼間にボクに会うとは思いもしなかったことでしょう。

「GTU君、今日は休み?」「は、はい。ボク、今、休職してるんです」

なぜか素直に言えました。

「どうしちゃったの?」「ちょっと、いろいろあって・・・・」

ボクが休職していることはご存じなかったようで、ちょっとびっくりしてありました。でもそのことには触れられず、退職後、心の相談員として2年間中学校に勤務されたこと、今年からスイミングスクールに行ってダイエットにチャレンジしていることなどをあの頃と同じように熱く話されました。そして、おもむろに

「GTU君、がんばりすぎちゃったかな?」「・・・・・」

「あなたががんばっていたのは知っていたから、心配もしていたのよ。人に気を遣いすぎたんじゃないかな?きつかったんだね。あせらなくていいから、ゆっくり休みなさい。そしてこれからはがんばり過ぎたらだめだよ。」

そこには、元同僚という関係ではなく、恩師と教え子という関係しかありませんでした。これといったことを話せないボクでしたが、しだいに動悸が収まっていくのを感じました。ありのままのボクを受け止め、プレッシャーがかからないように気遣ってくれているI丸先生をなつかしく、ありがたく思いました。

I丸先生と別れた後、車に乗り込み、小田和正さんの歌を聴きました。今まで以上に、人のやさしさを感じました。「I丸先生、ありがとうございます・・・・」こころの中でつぶやいていました。

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だめじゃないよ

今日、二男が通知表を持って帰ってきました。妻は仕事の関係でどうしても出席できず、ボクは休職の身ということもあって、保護者会は欠席しました。

家に帰ってくるなり元気のない顔をして、ボクに一言「だめだった」と言って、通知表を手渡しました。彼なりに今学期は自信があったようで、二人で顔をくっつけて通知表を眺めているときでも「だめやん」とつぶやいたのです。「どこがだめなの?」と尋ねると、「Cがたくさんあるから」と言います。(「A」は目標を十分達成した。「B」はおおむね達成した。「C」はがんばろうという評価になっています。年度末には数値による3段階評価もあります)

たしかに「C」がレイアウトされたかのように、随所に配置されており、気にならないと言えば嘘になります。でもボクは、学習成績はそこそこに、出欠の記録を見つめていました。そこには「欠席0」がきれいに並んでいました。

彼にとってはどんな思いで過ごしてきた1学期だったのか、思いを巡らせました。仕事もせず、いつも家にいる父。時々荒れた父。試合を見に来ない父。長男の時はいろいろな役員を引き受けていたのに、休職以来全ての行事を欠席し、母に任せきりになっている父。それでも毎日ボクに声をかけて、学校に元気よく出かける二男。たしかに、学習成績も大切であることは否定しません。負け惜しみに聞こえるかもしれません。でもボクにとっては、彼の思いを考えれば、この「欠席0」がどれだけ値うちがあるものに感じたことでしょう。

ボクは彼に言いました。「よく頑張ったね。特に欠席0がすごいよ」すると彼は嬉しそうにこう言いました。「お父さん、次も頑張るから」それだけで十分です。応援してるよ。

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海猿のごとく

昨日の夜、大変な事態が発生しました。そのことについてお話しします。

ボクの大切にしてきたPC君は、最近酷使されるようになったためなのか、電源関係の調子が悪く、コンセント使用になっているにもかかわらず、こっそりバッテリー使用になってしまうすねた状態でした。バッテリーの充電がなくなってきたとタスクバーにいきなり警告してくるやいなや、無情にも

ぶちっ!!

という人の気持ちを逆なでする音をたて、一方的に仮死状態に入ってくれていました。でも温厚なボクは、PC君をなだめすかし、優しく起こし、時には厳しい指導も加えながら?ブログをどうやら今まで書いてこれたのです。

昨日もPC君は朝から機嫌が悪いようで、アダプタが好きなのか、バッテリーが好きなのかはっきりせず、それでも「休みたい」とだだをこねていました。「たのむよ~」とPC君をやさしくなでながら、やっとの思いで昨日紹介した「一歩のために」を書き終えたのです。しかし・・・・記事の作成の「保存」をクリックするあと一歩のところまできたときに、またもや

ぶちっ!!

ちょっ、ちょっとまてよ~~~~~~~~っっ!!!

ボクの記事は見事にブラックホールの闇の中へと消え去ってしまったのでした。しかし、ボクも大人です。凹んだ気持ちを落ち着かせようとコーヒーを飲みに台所へ行くと、今度はなんと、焦げたようないやなにおいが

プ~~~~ン

かんべんしてよ~~~~~~~

な、なんとPC君の身体からモクモクと黒い煙が立ち上っていたのでした。初めてこんな光景を見ました。たぶん誰も見たことないでしょうね。PC君を助けるためにアダプタを取り外し、うちわで冷やし、懸命に救助活動する海猿のごとく消火活動は無事終了したのでした。その後は、ブラックホールへ行ってしまった記事を思い出しながら、これまた固まりまくるというかわいいもう一台のPCちゃんにがんばってもらって、やっと公開にこぎつけたのでした。チャン、チャン

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一歩のために

前回の内容に付け加えたいと思い書いています。

まず、休職については、前回「休職して9ヶ月たった」と書きましたが、正確に言うと最初の6ヶ月は病気休暇という扱いでした。その名のとおり、病気を理由とする休みです。長い期間とれることに驚かれるかもしれませんが、通常の病気休暇は3ヶ月です。でも、ボクのように通常じゃないケース、つまり精神的な病気については最大6ヶ月という療養期間が保障されているのです。それがなぜなのかは、よくわかりませんが、治癒し復職するためにはそれだけの期間がケースバイケースで必要というのがあるのだと思います。それだけやっかいなのでしょう。そして、病気休暇の場合は、医者の診断書があれば比較的簡単にとれるようでが、休職となると、そう簡単なものではなく、都道府県、そして市町村のそれぞれの教育委員会で厳しい審査が行われ、休職が妥当なのかどうかを判断されます。それはそうでしょう。休職中でもカットはあるものの、最低限の生活を保障するための給料が支給されるからです。だからこそ、給料が支給されるということはボクにとってものすごく重たいものでした。「給料泥棒」という新たな十字架を背負って歩かなければならないことになったからです。妻は、「今まで精一杯がんばってきたんだから気にしないで」と言ってくれましたが、はっきり言ってつらいものでした。「給料泥棒・・・・」。ボクの6ヶ月の病気休暇は3月中途で切れるため、休職申請の書類を勇気をふりしぼって校長の自宅まで届けました。校長は病気休暇が切れると同時に現場に復帰すると思っていたようなので、びっくりしていたようでした。テーブルの上に、校長が作成した復帰訓練計画書が準備されてありましたから。

思い返せば昨年の10月、正装したボクは退職願を校長に提出しに行きました。でも、びっくりした校長は「とにかく待て!」といって受理しませんでした。「すべての責任をとって潔く辞める」と、すべての歯車が狂ってしまったボクの頭で必死に考えた結論でした。だって、投げ出したんですから。何もかも・・・。それですまされるとも思っていませんでしたが、病気休暇なんて全く頭によぎることはありませんでした。しかし、その後「まずGTUを休ませることが大事」ということで校長と教育長が話し合い、その後妻は同意を求められ、めでたく病気休職となったのでした。

その後は、地獄の日々でした。全てを投げ出し、おめおめと病気休職の道をたどってしまった自分を責めて、責めて、責め続けました。頭は混乱し、現場にいた頃とはうって変わって生活のリズムもめちゃくちゃになっていきました。夜は目がさえて眠れず、気を紛らわすため酒を浴びるほど飲みました。当然次の朝は起きられず、子どもたちが学校へ行く時に「行ってきます」と声をかけられても、ベッドに伏せたボクは「行ってらっしゃい」の言葉さえかけてあげられないだめな父親でした。「ごめん」といつも心の中でつぶやく毎日がどれだけ続いたでしょう。二日酔いと薬の影響もあってか、気力という気力はすべて萎えてしまい、意識がもうろうとなりながら寝ては起きるの繰り返しでした。ほんのまれに調子がいいときもあり、そんなときはビデオを見たりラジオを聴いたり、読書をして時間を過ごすこともありました。でも、そのことが一区切りつくと、忘れていた自責の気持ちがまた押し寄せてくるのです。「卑怯者」「給料泥棒」。自分にはふさわしい称号でした。毎日唇をかみしめる日々が続きます。週末は特に情緒が不安定になることが多く、家の中で荒れることがよくあり悲惨でした。ちょっとした妻の言葉や態度に気分を逆なでされ、妻に罵声を浴びせたこともありました。悲しそうに見ている子どもたちの視線を感じながら、そこら中の壁を殴ったり蹴ったり、手当たり次第当たり散らしました。ある時は妻に「こんな俺といても幸せにしてやれないから別れてくれ」と、こころない一言を突きつけたこともありました。妻はその時初めて嗚咽し、泣き崩れました。その姿を見て、さらに自分を責め、「ごめん」としかつぶやけないボクでした。

そんな日々を9ヶ月間送ってきた今、やっとこころ落ち着いて生活することができるようになってきました。本当に長い道のりでした。そしてわずかながらも、家事をすることもできるようになりました。掃除、洗濯物干し、食事の準備が主なものです。ただ、洗濯物干しは人の目をどうしても気にしてしまいます。見晴らしのいいベランダが恨めしいです。買い物も同様です。地元のスーパーにはまだ行けません。1時間程度車を走らせて、絶対に知っている人がいないと確信できるスーパーマーケットにだけ買い物に行けます。でも、買い物は楽しいことがわかりました。喜ぶ家族の顔を思い描くことができるからです。そして一生懸命作った料理をおいしいと言ってくれることがどれだけ嬉しく感じるのかもわかりました。今、専業主夫として家庭の中で存在感を感じることができるようになったのです。

そんなことぐらいで教師に戻れるのだろうかと不安もあります。でも、こんな弱い自分を人にさらすことは今までありませんでした。また、休職してしまったときの気持ちを人にふれられたくなかったし、自分でもふれたくないことでした。こんな言葉を聞いたことがあります。「一番言いたくないことは、一番わかってほしいこと」だと。ボクは今まで、かけがえのない家族と友人の無償の愛、主治医の先生のあたたかいご指導、そして何も知らない世界に飛び込んだボクのブログに遊びに来てくれた人たちの存在や心のこもったコメントを送ってくれる人たちの優しさを心に刻むため、記したんだと思えるのです。さらに一歩踏み出すために。

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砂漠の中で

今、走行距離250㎞の長旅から帰ってきました。高速ぶっ飛ばし!!!で、結構疲れました「ふぅ・・・」。実は、休職延長のために診断書が必要になり、県外の病院にも勤めていらっしゃる主治医の先生のところまで診断書を受け取りに行ってきたのでした。主治医の先生と校長、ボクの三者で話し合った結果、完全復活のためにはもう少し時間をかけるべきだという判断になり、さらにしばらくの間休職ということになりそうです。(教育委員会がどんな判断を下すのかはわかりませんが・・・たぶんそうなるでしょう)

久しぶりの長距離運転で疲れましたが、結構いい気分転換になりました。最近買った小田和正さんのアルバムをじっくり聴きながら、ブログのことや家族や友人のこと、これからのことなどいろいろ考えました。そんな中、高速を走っていてたまたま、牛を乗せたトラックと併走しました。5~6頭ぐらい乗っていたでしょうか。併走している間、ちらっと牛たちを見ると、牛たちもボクを見ていたのです。視線があってドキッとしました。「お前たち、これからどんな運命が待ち受けているのかをしらないんだろうなあ」前回「いのち」を書いたこともあって、何とも言えない気持ちになりました。食事をするときに言う言葉、「いただきます」って、「いのちをいただきます」という意味だと聞いたことがあります。牛たちに素直に「ありがとう、ごめんな」と心の中でつぶやきました。

主治医の先生はとってもいい先生です。その病院では部長をしてあるのですが、偉そうに感じてしまう病院の先生が多い中、そんな肩書きなど屁でもなく、閉ざしていた僕のこころをそっと開いてくれた先生です。そしていつも「GTUさん、ボチボチ行きましょう」と言ってくれながらも、ボクの完全復活を信じてくれている先生です。本当に感謝しています。

ところで、ブログを立ち上げて18日たちました。休職して9ヶ月、鬱積した気持ちを発信したいという思いと、こんなボクでも何かできることはないかという性めいたもので始めたブログでした。とは言っても初めての経験。「自分が満足すればそれでいい」と言い訳を自分でするものの、どこまでも続く果てしない砂漠に、無防備で一人飛び込んだ感じでした。つまり星の数ほどあるブログがある中で、ボクのブログに共感してもらえる人がいるのだろうかと思っていたのです。でも、嬉しいことに今まで出会えるはずもなかった人たちと出逢えました。厚かましくコメントやトラックバックを送ると、きっちり受け止めてくれる人たちがいました。顔さえ知らないのに、こころがこもった文章を綴ってくれる人たちと出会い、それはまさに自分が生かされていることを実感させてくれることだったのです。本当に良かったとこころから言えます。

ボクには一人、中学時代からつき合いのあるかけがえのない友人がいます。いつも朝4時頃ブログを見てくれているようで、「BGMが気にくわない」と率直すぎる意見をくれたり、「あれはよかった」と褒め殺ししながらも、ブログを通じて立ち上がろうとしているボクを心配し、応援してくれています。だからこそ、いつか完全復活を・・・・そうこころに誓っているのです。

何か今日のボクは変です。どうしたのだろう。ほんとうにリラックスしています。今まで力が入りすぎていたのかもしれません。もっとゆったりと、ボチボチとやっていきたいと思います。これからもよろしくお願いします。

今日つくる夕食のメニューは、ビーフカレーとサラダです。

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いのち

「えっ!」私が予想もしなかったものを、昨日二男が持って帰ってきました。それは・・・ 虫かごでした。虫かごの中には2匹のクワガタがいました。「どうしたの?」「友だちからもらった」「お世話は大丈夫?」「うん大丈夫」それでも少し心配でした。それはなぜかというと、数年前、子どもがまだ幼かった頃、私が事実上の生き物係として、身を粉にして金魚を世話した記憶が残っていたからです。

金魚は、お祭りの露店の金魚すくいで持ち帰ってきたもので、赤色の和金と黒色の出目金あわせて十匹近くはいたでしょうか。水槽など家にはなかったのであわてて水槽を買いに行きました。小さなプラスチック製虫かごで間に合わせた水槽に水道水を入れ、狭いビニール袋から解放してあげました。金魚たちは気持ちよく泳いでいました。

しかし次の日から、日にちが経つとともに、生きる力のない順番に水に浮いて死んでいる金魚たちを見るようになっていきました。初めは悲しんでいた子どもたちも、死ぬことを平然と受け止め、金魚の存在そのものに関心を持たなくなってしまいました。死んでいった1匹目の金魚のいのちの重みと、そのあと死んでいった金魚のいのちの重みに明らかな差が生じているようでした。「お世話をちゃんとするんだよ」でも、時として子どもはとても残酷な生き物になってしまいます。後を追うように1匹1匹死んでいく金魚たちを複雑な気持ちですくい、庭に埋めながら、このままではいけないと思った私は、そこから一大決心。学校帰りに近くの量販店で大きなガラス製水槽やポンプ・水温計、清浄フィルター等一切合切購入して、生き物係としてのお世話がめでたくスタートしたのでした。さびしいだろうと新たな金魚を購入したり、狭いだろうと水槽を増やしたり、水質を調べ調整したり、時間が許せば水槽を洗ったりと、日を追う毎に金魚の住む環境は改善されていきました。少しでも様子がおかしいと、金魚専門店に電話をし、飼育のしかたについてアドバイスもしてもらいました。自分が手を加え、気持ちよさそうに泳いでいる金魚たちを見ているだけで幸せな気分になれたものでした。私が金魚たちのいのちを守っていることにある種の充実感があったのです。おもしろいもので、それぞれの金魚には性格の違いがあることはもちろんのこと、金魚社会にも複雑な力関係があり、自分のことしか考えないで?仲間を追い払ってえさに食らいつく金魚もいれば、じっと傍らにいて、食べられる機会をじっと待ち続けるおとなしい金魚もいました。新しく飼った金魚でも、すぐに仲間として馴染んでいる金魚や、仲間に加われない(加わらない)で一匹気ままに(さびしく)暮らす金魚もいました。その時その時に、いろいろな発見があり、金魚の様子に一喜一憂している自分がいました。学校でいやなことがあったとき、ビールを片手に金魚たちの姿を見ているだけでこころいやされ、促されないと何時間でも眺めている自分がいました。病気にでもなったのか力なく泳ぐ金魚を本当に心配しました。でも、金魚たちは残念なことに、生きている期間は明らかに長くなっていったのですが、やはり死んでいったのです。こころが痛くなりました。もしかしたらこのときから、今の前兆が少しずつ現れてきたのかもしれないと思います。

その中でも一番悲しかったのは、一番最初から生き延びていた和金の金魚が死んでしまったことでした。家に来た当初は2㎝ほどの小さな身体だったのが、8㎝ほどに大きくなっていました。一番大きなからだだったのと、一番の古株で偉そうにしていた和金でした。前日の夜まで元気だったのに、朝起きて水槽を見るとすでに力尽きていました。予期せぬ死に私はいたたまれない気持ちになり、落ち込みました。「寿命だったのよ」と妻は慰めてくれましたが、私には何の慰めにもなりませんでした。その日、学校から帰ってきて、ビールを飲みながらしばらく金魚たちを見ていました。そして酔いが廻ってきた時分、おもむろにすべての金魚をビニールに入れ、川に戻そうと心に決めました。妻に運転させて、金魚たちを川に解き放ちました。その時以来、生き物を飼おうとは思わなくなりました。

金魚にせよ、クワガタにせよ、同じいのちを持ったもの。金魚を飼っていたときの私がトラウマになっているところがありました。「いのちはいつか尽きるもの」そんなことぐらい頭ではわかっています。でも、いのちあることは受け止めることが出来て、死はどうしても受け止められなかったのです。3年前に、犬を飼いたいと言い出した子どもたちに最後まで抵抗したのも私でした。今となったら、現在の私につながるものを感じざるを得ません。元来生き物好きの私が仕方なく犬を飼うのに同意したのも、「すぐに命尽きることはないだろう」という、ある種の死からの逃避という思いからでした。

この世に生を受けたものすべては、平等にいのちを与えられ、いつか朽ち果てていきます。このことは、この世の真理だと思います。そして輪廻「すべての魂は、転々と他の人間や生物にうつりめぐり、永久に滅びることがない」ということばもあります。そこまで思いをはせることは到底できませんが、「生あるものはいつか死す」という当たり前の現実をまるごと受け止められれば、弱くなった自分やだめな自分を許せるようになるのかなあと思います。

長くなってしまいました。朝早く目が覚め(いつも5時前に自然と目が覚めてしまうのです。もうすっかりおじいさんになってしまったのでしょうか?)、いつものようにコンピュータを立ち上げていたら、自然と虫かごに目が行ってしまいました。「元気かな」昆虫用ゼリーを手にして、中をのぞきました。2匹のクワガタは静かに、そして寄り添うようにゼリーを吸っていました。「お前たち、仲がいいなあ」ちょっとほっとしました。たぶん昨日寝る前に、二男があげたのでしょう。「よかった・・・」少し嬉しくなりました。

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もう一人の自分

ブログを始めて、りんごの小部屋というブログに出会いました。りんごさんの気持ちが飾りなく、そして優しく語られていて、いつも自分と重ねながら読んでいます。たくさんの人も訪れ、それぞれの人が互いに語り合い支え合いながら、優しい時を刻んでいます。学校を休んでいることで、自分を責め続け、まわりの人たちを信じられなくなってしまった時もあったけれど、時がとまり、あの時のふれられたくない自分を静かに振り返る、そんなひとときを感じています。

時間を忘れ、コンピュータの前に座って

キーボードをたたいている私。

「ちょっと疲れた」「頑張りすぎてないかな」自分のことを自分で心配している。

忘れもしない昨年の10月3日。

11月にある研究発表会の資料を間に合わせるため、

朝、4時からキーボードをたたいていた。授業の準備も完璧だった。

「間に合わないぞ」自分をせき立てる。

どうにか間に合った。

でも、その後・・・・「学校に行きたくない」胸の動悸がしだいに速くなる。

「休んだらだめだ」自分でかぶりを振る。

休みの連絡を罪悪感を持ちながら入れる。ずいぶんと楽になった。

私が資料を持って行かないと、今日の研修会は成立しないことぐらいわかっている。

自宅の電話が鳴った。出られない。携帯が鳴った。仕方なく出た。

「資料はどうなった?」「できています」「学校に送ってくれないかな」「わかりました」

資料なんてどうでもいいと思った。でも、学校に送った。

研修会は無事終わったらしい。

紙切れひとつでことが終わった。

次の日も4時に起き、研究発表会の原稿をつくっていた。

「もういいや・・・」

その日も学校を休んだ。次の日も。

「どうやら私より、紙切れの方が値うちがあるようだ」

なぜかそう思った。

蒸気機関車が、石炭を供給されなくなって

静かに走りをやめるかのように、私も止まってしまった。

私はあの時に比べて、何が変わったのかなあ。

たぶん、何も変わっていないと思う。でも、

自分を見つめているもう一人の自分の存在と、

優しいまなざしに気がつくようになった。

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これでばっちり!!教育実習

今回は、前回まで紹介してきた私の教育実習生として体験をふまえ、今まで学校現場で実際に実習生に指導してきた内容を紹介し、教育実習特集のまとめにしたいと思う。また、この内容は県内の某短大で、教育実習希望者を対象に講話をさせてもらった内容でもあることを付け加えておきたい。(ぜひ、前回までの内容を一読してほしい。カテゴリー「教育実習」)

○教育を取り巻く現状

それではまず、簡単に教育を取り巻く現状にふれておきたい。平成14年度から新教育課程が完全実施され、完全週5日制が導入されて久しい。中学校学習指導要領総則には「学校の教育活動を進めるに当たっては,各学校において,生徒に生きる力をはぐくむことを目指し,創意工夫を生かし特色ある教育活動を展開する中で,自ら学び自ら考える力の育成を図るとともに,基礎的・基本的な内容の確実な定着を図り,個性を生かす教育の充実に努めなければならない。」とある。(小学校でも総則の内容はほとんど同じである。)そして、学習内容の削減などを含めた「ゆとり教育」がさかんにすすめられてきた。しかし、その「ゆとり教育」の弊害が叫ばれ、国民的議論となり、先日中山大臣が指導要領の見直しを示唆するなど、教育の基盤そのものが問い直されていることも承知のことと思う。さらに、子どもを取り巻く現状も非常に厳しいものがある。毎日のように重大犯罪の低年齢化が取り沙汰され、いまわしく悲しい事件が続発している。その原因として、学校の指導の在り方の是非論以外に、家庭の教育力の低下が指摘されている。そういう時代だからこそ、学校に向けられる期待が今まで以上に大きく、かつ背負っている責任も重いといえる。教育実習も期間の長短はあるものの、担っているものは同様である。だからこそ意義は大きい。

教育実習生を迎える実習校は、実習生が教師を目指しているという大前提で全面協力をする。少々厳しいが、2~4週間の実習で、授業の進度は遅れ、実習生の指導後の後補充もしなければならない事態が出てくる。さらには学級経営を立て直す必要もあるかもしれない。しかし、それは承知の上で実習校は実習生を迎えていることを知っておいてほしい。将来の教師、もしくは何らかの形で教育に携わる者としての活躍を期待しているからである。だからこそ、期待と不安が交差すると思うが、臆する必要はまったくない。思いっきり子どもたちと向き合ってほしい。そして、かけがえのない貴重な体験にしてほしい。

○教育実習のための準備                                           

まず、教育実習の前に、実習校で事前打ち合わせをする必要がある。そのためにアポを取り、余裕を持った期日を設定する。(実習生本人が実習校に電話で確認することがほとんどであろう) 実際の打ち合わせは、教務主任、教科指導教員、学級担任と行う。(中学校の場合)教務主任とは、「学校教育目標」「校時」「週時程」「出勤簿に替わる公簿の有無」「実習全体にかかわる注意事項の有無」等の確認、教科指導教員とは「授業予定単元(実際に授業する予定の学習内容)」「全体的な児童・生徒の様子(雰囲気)と特に配慮すべき事項の有無」「授業の進め方の基本的なモデル」等の確認、学級担任とは、「学級目標」「学級の全体的な様子と特に配慮すべき児童・生徒の有無」等の確認が大事である。その他、知っておきたいことがあれば、遠慮なく尋ねるべきだ。特に2週間という短い期間の実習においては、何もない状態で私のように実習に臨むよりイメージトレーニングしやすい。最後に、授業の準備のために、教科書・教師用指導書を借りてほしい。もし、借りることができなくても、コピーをしてもらう。

○実習期間中と1日のおおまかな流れ                                         

まず、実習期間中における流れを確認すると、児童・生徒との顔合わせ→授業参観→実際の学習指導→査定授業→授業整理会→まとめとしての学習指導→お別れとなる。実習期間中に学校行事などの取り組み(たとえば運動会、文化祭、音楽コンクール、クラスマッチなど)が入ると、授業をする機会が極端になくなることがあるので要注意である。また、私のように授業参観はほとんどなく、すぐに授業をしなければならないこともあり得る。また1日の流れは職朝(職員打ち合わせ)→朝の会→授業→給食指導→授業→清掃指導→帰りの会→ (実習の反省)(部活動指導)(教材研究)となるだろう。帰りの会後は、実習校の意向に即した形になると思われる。ただし、部活動指導はよほどの余裕がある場合を除き無理であろう。小・中学校とも、指導の兼ね合いで空き時間が生じると思うが、教材研究、学級事務の補佐、実習日誌の整理、もしくは児童・生徒指導などで、空き時間は瞬く間に消化されるだろう。

○注意してほしいこと

当然であるが、教育実習は遊びに行くのではないし、楽しいだけがすべてでもないことをわかってほしい。何もかも楽しかったという教育実習もあれば、そうでない実習もあるだろう。人間一人一人が違うように、実習校の実態も実習もさまざまである。私のように荒れた実習校で、苦しさや悔しさが多かった実習もすべて「あり」、である。すべてがかけがえのない経験になる。

<礼儀について>まず、実習校に敬意を払い、謙虚さと感謝の気持ちを忘れてはいけない。また、服装、髪型、化粧のしかた、言葉遣い、挨拶、等は社会人として常識的な範囲で考えてほしい。時間厳守は原則である。もし遅れたりした場合は必ず連絡を入れる。さらに朝は余裕を持って登校し、実習生控え室の清掃はもちろんのこと、その他しなければならないことがあるかどうかは指導教員に尋ねてみるとよい。また、1日の実習内容がすべて終わり放課する場合、勝手に自己判断で帰らず、必ず指導教員の許可を受けることも忘れてはならない。その際に、実習日誌も提出する。

<授業について>教材研究が命である。必ず授業の略案と板書計画をつくることが大切である。また、授業で使う学習プリントや資料の作成もある。その際に、学習指導要領を読み、学習目標や指導する際の留意事項を理解しておけば鬼に金棒である。さらに自宅で一人声を出して模擬授業を行うとイメージしやすい。実際の授業の中では、大きな声、見やすい板書の工夫(字の大きさ、色づかい、レイアウト)、目線(アイコンタクト)、子どものつぶやきを大事にすることを忘れずに。私もよく言われたが、学ぶことは「真似ぶ」ことである。時間と相手の都合が許せば、ぜひ指導教員はもちろんのこと、他の教師や実習生の授業を参観させてもらうのも参考になる。積極的に働きかけてほしい。最後に、査定授業の指導案作成はなるべく早く取りかかることだ。作成自体に時間がかかるうえ、早く取りかかれば、指導教員や先輩教師の指導・助言を生かすことができ、何度もあるであろう手直しにも柔軟に対応できる。

<児童・生徒共に>とにかく無理して時間をつくってでも、子どもとのふれあいを大切にしてほしい。「子どもがあっての教師である。」

<健康について>疲れが相当蓄積するだろうと思う。だからこそリフレッシュも大事である。睡眠を十分取れないと思うが、若さで睡眠不足を乗りこえてほしい。

<夜の反省会>夜の反省会(飲み会)は誘われたら必ず参加をして、教師の生の声を聞いてほしい。日頃聞けないことを遠慮なく尋ねることができる。しかし、次の日のことも考えて二日酔いにならないよう上手につきあうこと。

<緊急事態の場合>思わぬ事態(たとえばセクハラなど)が生じた場合、すぐに自分の学校(大学など)の担当教師に連絡を入れ、指示を待つこと。

<評価について>実習生の努力に見合う評価をそのまま行う。実習校が一番見たいのは、授業のうまさより実習生の熱意である。

どうですか?ひとつでも参考になったことがあったでしょうか?はっきり言って、休職しているこの私がこのような記事を書くことにためらいがあります。でも、現在このような私でも、何か力になれることはないだろうかと思い、このブログを立ち上げました。私の真意が少しでも伝わることを願いながら、何度もこの記事を読みかえし、書き直しました。つたない文章ですが、この記事を読んでいただいた方で、何か得るものがあればと切に願っています。もし、何か不明な点などありましたら、遠慮なく質問してください。また、ご意見をいただけたら幸いです。最後まで読んでいただいて嬉しいです。

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専業主夫

専業主夫の私。今日は金曜日、仕事もしていない私ですがなぜかほっとします。休職前は、これで今週も終わり!!という安堵感から、それまで低かったテンションが一気にあがり、盛り上がった授業を展開していたものでした。私の授業が金曜日に入っているクラスはさぞラッキーだったことでしょう?そりゃあ物まねアリ、親父ギャグあり、はたまた世間話で授業は脱線。笑いの渦。今となればなつかし~い。といっても土、日は休みではなく、部活動指導がばっちり入っているし、指導が終われば自宅で教材集めと授業の準備、指導案作成、研究発表会の準備などに追われていました。今ではその時のような気分の高揚はないにしても、主夫としての区切りとして、やっぱり金曜日は他の曜日とは装いが違う。ウキウキ・・・・

今や土、日は子どもが小さかった頃と違い、家族みんなでゆっくりと団らんすることは少なくなってしまいました。中学生の長男も小学生の二男も部活動やスポーツ少年団で大忙しです。妻も教師やっていますから、部活動指導もあるし、雑多な仕事でよく学校に出かけます。そしてみんなくたくたで帰ってくるのを温かく迎えるのが私の今の仕事。一人で家を守る立派な専業主夫やってます。

昨日、友だちからメールが送られてきました。「ブログ、毎日見ているが、今日の○○くん(私の長男)の件はぐっと来るものがあるなぁ~。」幸い家族は、私が仕事に行っていないことをしっかり受け止めてくれているようです。子どもたちから私がなぜ仕事に行かなくなったのか(行けなくなったのか)を尋ねられたことはありません。たぶん妻がそこのところはうまく話しているとは思います。また、休職以前に食事もとらず、休みの日も関係なく気が狂ったように自宅で仕事をしていた私の姿を見て、子どもながらにいろいろ感じ、こころ痛めていたのではないかと思うのです。ですから、私に「お父さん、いつ先生に戻るの?」といったことは一切尋ねません。ただ、待ってくれています。息子の友だちは休職以来自宅に遊びに来なくなりました。友だちが家に来たら私に気を遣わせるだろうと、家にいる私を気遣ってくれているようです。最近、ブログに夢中になって記事を書いている私に「頑張りすぎたらだめだよ」と心配してくれるやさしい家族です。ただ、時間は腐るほどある私ですが、部活動・スポーツ少年団のお世話や応援、地域活動や学校のPTA活動に参加できないことがつらく、妻に負担をかけまくっています。かみさん、待っててください。

今日も朝食をつくり、長男、妻、二男を順に送り出しました。いつもみんなには「気をつけていくんだよ」と声をかけます。掃除、洗濯物干し、結構大変です。あっ!かみさん、また携帯忘れて行ってる~。職場から「私の携帯知らない?」って電話あるだろうなあ。(これを送信しようとしたとき、電話がなりました)今日は金曜日、夕食は何をつくろうかなあ・・・・

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やっぱり教師になろう!

前回の続き、教育実習特集~!!

「さあ~。気合いだ~」自分を奮い立たせたが、とにかく眠たい。規則正しく生活していた私にとって睡眠2時間というのは、日頃から切れの悪い私の頭をさらに鈍いものにしていった。「Y下先生、それでは行ってきます」「(笑顔で)はい、頑張ってください」(えーっ、教室に来られないんだ)授業初日は、Y下先生の進め方をまねて授業を行った。それぞれのクラスの子どもたちは最初は目新しさに喜々としているが、授業が進んでいくと共に発言が途絶えがちになり、そして反応が消えていく。顔も死んでいく・・・。その雰囲気が私にしっかり伝染し、雰囲気をさらに重たいものにしていく。もうどん詰まり。冷や汗もので授業を終え、すぐに次のクラスへ。その繰り返しで授業が終了した。

(何がいけないんだ)いけないもへったくれもない。何を隠そう、授業をやっている私が全然楽しくないのだ。授業2日目以降、反省をふまえ、授業をアレンジしてチャレンジする。次の日もそして次の日も。疲れは蓄積されていく。教材研究をしてもうまくいかない。授業を失敗することもさることながら進度も大幅に遅れていった。相変わらずY下先生は笑顔をたたえ、私に授業の全てを任せた。

実習校は学習環境が落ち着いていなかった。学校がとにかく汚い。授業が始まっても教室に入らず廊下にたむろする。もちろん掃除もしない。学校内外で喫煙、家出、万引きなどいろんな問題行動が頻発していたようだ。3年生の廊下を歩いていると、ボンタン(異常にダブダブになったズボン)をはき、そり込みを入れたツッパリ連中が、いつも挑戦的な目つきで下から私を睨む。こっちも負けじと気合いを入れる。もし何かきっかけがあれば一発触発状態だ。たぶん強いか弱いかを見定めていたのだろうと思うが、幸いなことにこれといった衝突はなかった。ある日の朝の打ち合わせのこと。生徒指導の先生が「家出をしていた○○を今日の朝4時に見つけ、先ほど警察に連れて行きました。」と報告があった。安堵する教師たち。私はその報告を聞き、衝撃を受けた。(そんな時間に動いている教師がいるんだ・・・・)たぶん、家出以来探し続けてあったのだろうと思う。

査定授業の準備も並行した。それまでに指導案を書いた経験がない私は、寝る暇なく教師用指導書を参考に何日もかけて作成していった。ワープロさえない時代、手書きで何度書き直しただろう。期限ぎりぎりで作り上げた指導案を、たまたま学校に残ってあった元担任のM先生から印刷をしてもらい、労いの言葉をいただいた。涙が出そうになった。

査定授業は失敗に終わった。時間も15分オーバーし、それでも指導案の最後までたどり着けなかった。授業の反省会では、ひとしきり厳しい意見をもらった後、A先生がこう言ってくれたことを今でも覚えている。「今日の授業の値うちは、生徒たちがGTU先生の授業を盛り上げようと頑張っていたことだと思う。GTU先生、何年もやっている私たちよりうまく授業ができるはずはないんだよ。だから、GTU先生、試験、頑張って。仲間になろう」

実習期間中、生徒とのふれあいはもちろん、2週間で3回も飲み会に連れて行ってもらったことなど、楽しいこともたくさんあった。人によっていろいろだろうが、「きつかったけど楽しかった。やっぱり教師はいいなあ」と言える実習もあると思う。でも、私はこの言葉で言い尽くせる。

「きつかったーっ!!」

授業の準備で身体はボロボロ。授業は失敗し続け心もボロボロ。授業はもちろん、指導案でさえ指導という指導もなかったことに対する憤りと悔しい気持ち。荒れた現場の事実。教育実習後、正直なところ、「こんなはずじゃなかった。自分は教師に向いていないんじゃないだろうか?」私の気持ちは揺れた。しばらくの間何も手につかず、スランプ状態に陥った。持っていた自信らしきものも見事に吹き飛んでしまった。

しかしその後、私は改めて教師になることを目ざした。落ち込んだ私を立ち直らせてくれたもの、それは・・・査定授業の反省会の時に励ましてくれたA先生の言葉と協力してくれた子どもたちの顔だった。そしてアメリカ遊学以来、あたため続けた中学教師になることへの思いを振り返った。「荒れた姿を見せる子どもたちに寄り添っていきたいと思ったのは誰だ?」「その時の自分に満足せず、共に成長していきたいと思ったのは誰だ?」(失敗してきつい思いをして良かったんだ。男子一度志を立て、郷関を出ずれば死すとも帰らず。そうだ、時間ないぞ)それからというもの、教員採用試験に驀進していった。そして、幸いなことに大学卒業後、県内の都市部にある公立中学校に新規採用として勤務することとなる。

私の中学生になる息子が先日、3日間校区の小学校に職場体験学習に行ってきました。これは今はやりの取り組みで、総合的な学習の時間をまとめ取りして数日間にわたってさまざまな職場で行われています。息子の所属学年は4年生で、担任の授業補佐(TT)や、休み時間、清掃活動、朝・帰りの会の指導?など、ほぼ現場の教師と同じ仕事を行ったそうです。最終日の帰りの会ではお別れ会をしてもらい、クラスの子どもたちから寄せ書きと記念写真、手紙をもらって喜んで帰ってきました。私「学校はどうだった?」息子「とても楽しかったよ。学校の先生になろうかな~。」私「・・・・・」まあ、それはそれでいいか。「いい思い出ができて良かったなあ」でも息子がもっと成長して、教師になりたいと言ったなら、いろんな話をその時はしてあげたいと思います。「お父さんがあの時学校を休んで家にいた理由はね・・・・。でも、自分で決めたことだからしっかり頑張りなさい」と励ましてあげたいなあ。

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う、うそやろ~

「教育実習」特集~!!ということで、今日は教育実習について私の体験談を紹介したいと思う。かれこれ20数年前のことだから、記憶をたどりながらインパクトに残っていることをあげてみたい。(そういっても結構覚えているのです)教師となって今までに、教育実習生の指導教諭や新任教諭の指導教官を経験させてもらった。その際、指導のもととなっているのが、私自身の教育実習体験である。

教員採用試験の勉強が順調に進んでいた6月、いよいよ母校の中学校に2週間教育実習に行くこととなった。実習開始1週間前の事前打ち合わせは、教科担当の教師(Y下先生)との顔合わせと教科の指導学年、進度の確認、私の中学校時代の担任の先生(M先生)との雑談程度の簡単なものだった。しかし、M先生から教師を志望しているのかどうかはきっちり聞かれた。「はい、来月の採用試験に向けて頑張っています」胸を張って答えた。所属学年は希望通り1年生。教科指導は1年地理、2年歴史。(当時はザブトン型といって、1年は地理、2年は歴史、3年は公民と各学年を通して分野別に学習を進めるやり方だった)私自身も別に質問することもなく(というか、何を質問するべきなのかもわからなかった)、中学校を後にした。「すごくおおざっぱでいい加減な打ち合わせだったなあ」大学などでは現在模擬授業や指導案作成等の懇切丁寧な指導があるらしいが、そんなことを一度も受けた記憶がない私は、指導案?何それ?状態だった。確かに試験勉強はしているが、実際の授業となると未体験ゾーンである。今まで経験してきた家庭教師とは訳が違う。ただ、私の大学の名誉のために付け加えておくが、教職課程の講義の中にはこういう類の指導は今ほどではないにしてもあっていたと思う。ただ、教師になるつもりはさらさらなかった私の頭の中からすっぽりと抜け落ちていただけなのだろう。もしかしたら講義を欠席していたかもしれないという最悪の状態だった。教科書や教師用指導書も借りれず不安もあったが、「どうにかなるだろう」とたかをくくっていた。ただ、武田鉄矢の顔と私の顔がすげ替わっている金八先生が授業をしている妄想だけは描いていた。これをイメージトレーニングというらしいが、私の場合は妄想トレーニングというべきか。髪をかき上げ、つばを飛ばしながら「人という字は・・・・・」

1日目月曜日、張り切って自転車に乗って学校に行き、早速朝の全校集会で生徒たちとご対面。(自動車で行ってはいけないと大学から指導あり)集会後、2時間目の1年生の授業に臨んだ。ザワザワ・・・・後ろに立った私を興味深そうに振り返ってみる生徒たちに、引きつった愛想笑いを浮かべた。Y下先生から見学しておくようにと指導があり、授業を参観した。Y下先生は教科書を生徒に読ませ、大事なところに線を引かせる。その後板書しながら説明をする。生徒たちは黙って話を聞き、黙々とノートに写す作業を進めていく。質疑など一切なし。授業の最後に小テストをさせて、となりの生徒と自己採点、回収といった淡々とした授業の展開であった。「こんなことでいいのか」率直な感想だった。しかしその後、1日目3~4コマ?の授業を終えたY下先生からびっくりする一言が私に投げかけられた。「えーっ!!!」

「明日の授業からは全部GTU先生が指導してください」(そ、そんな・・・)絶句。「は、はい」(そんなのありかよ・・・)実習生は5名来ていたが、その先陣を切って明日から授業をするようになった私。他の実習生の授業デビューの形はそれぞれだったが、私ほど過酷な条件下での実習生はいなかった。Y下先生から手渡された2冊の教科書と教師用指導書を半分パニックになりながら食い入るように控え室で読みながらも、「うそやろ~」状態だった。部活動指導なんてあったもんじゃない。実習日誌をまとめ終え、すでに帰ってしまっているY下先生の机の上に提出して退校。夕食もそこそこに1年地理と2年歴史の授業準備に取りかかる。深夜何時までかかっただろう。推定睡眠時間2時間。明日の朝は音楽コンクールに向けての朝練習がある。そんな毎日が2週間続く・・・。

今、激しい雨が降っています。私的には雨は好きです。でもこの雨のおかげで被害が各地に出ているようです。もし、このブログに遊びに来られた方や親類縁者の方で被害に遭われた方がいらっしゃったら、心からお見舞い申し上げます。それと、昨日は本当にラジオの件はすみませんでした。私が気づいたのは11時45分。ブログで訂正をした後ラジオのスイッチを入れると、「全国の天気」。やっぱり終わってた。聴きたかったなあ。でも、仕方ないか・・・。もし諸富教授の話を聞かれた方がいらっしゃったら、簡単で結構ですのでどんな内容だったか教えていただけないでしょうか。助かります。よ~し、今日は聴くぞ~。(気合いを入れすぎたらだめなんですよね)リラックス、リラックス・・・

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すみません

ごめんなさい。今日ブログで紹介したNHK「ラジオ深夜便」の「ないとエッセイ」も諸富教授のお話があるようになっていました。ちなみに木曜日まで4日間連続で特集を組まれているようです。ごめんなさい。m(_ _)m

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「もう大丈夫です」というあなたへ

昨夜、いつものように寝る前にラジオのスイッチを入れると、NHK第1ラジオの深夜番組「ラジオ深夜便」の中で、「ないとエッセー」というコーナーがあり、「人生の意味に悩んでいませんか」ということで明治大学助教授・教育学博士「諸富祥彦」氏の話を偶然聴くことができた。番組を事前にチェックしていなかったので話の途中からだった。でも、10分程度の内容でもすごく中身のある話に感じたのでここに記すことにする。

診療心理士でもある諸富氏のところには、心に病を持っている人たちがカウンセリングを受けに多くの人がやってくる。カウンセリングを施しながらも悩みつづける人たちで、諸富氏が大丈夫だと思える人と心配だなあと思える人がいるらしい。それは、私もそうだが悩んだり気持ちを整理したりしたいとき、自己啓発的な本を読む。すると、それらの本には元気が出たり、心を落ち着かせてくれる(慰めてくれる?)道しるべ的内容がいろいろと書いてあり、「そうか、こう考えればいいんだ」と自分を納得させることがよくある。諸富氏にカウンセリングにやってくる人の中に、私のような人が多くいるらしい。「自分の人生における方向をこの本のこんなことで見つけることができました。頑張れそうです」と。でも、諸富氏は「そのような人が心配だ」と言うのである。そういう人は一見立ち直ったかのように思えるが、再度厳しい局面に遭遇したとき、また悩み苦しみ、そして落ち込んで「あの本に書いてあることはまちがっていると思う。あの本は私の生き方と違っていた」と、諸富氏のもとへとカウンセリングを受けに再度戻ってきてしまうらしい。

一方、カウンセリングを受けに来る人でこんな人もいるという。「悩んで悩んで悩み抜いて、悩むことにとことん疲れました。もう悩むことはやめました」そんな人をカウンセリングしていると諸富氏は「この人は大丈夫だ」と思えるし、実際立ち直っていくと話してあった。

諸富氏はさらにこう続ける。実はこの世界の存在するすべての小さな命は、さらに大きな大きなエネルギーを持った命から、平等に与えられているものにすぎない。あるものは鳥という姿で、コップという姿で、魚という姿で、そして人間という姿で与えられているだけであると。

私はときおり無性に孤独感を感じるときがある。それは、休職をしているという後ろめたさが背景にあることは間違いない。前に踏みだそう、表に出ようとしても今はとてもきつい。でも、諸富氏の言葉を借りれば、まわりのものすべては、私と同じ命を与えられ、生きているわけだ。そう考えると、自然とすべてのものに頭を垂れ、語りかけることができるだろう。自分のことだけを考え、悩むことのむなしさを感じるだろうと思う。私はよく「生かされている」という言葉を使いたがる。使うと心地よいし、この言葉が好きだ。自分がいま生きていることに意味があると考えたい。そして、まわりのすべてのものにも意味があると考えたい。自分のことで悩む、自分のことを悩むことは傲慢かもしれない。諸富氏の話を聴き、肩の力が少し抜けたような気がする。「悩むことはやめにした」いつか言える日がくれば、本当に楽になれるだろうと思う。

10分程度しか聞けなかったので、話の内容を十分伝え切れていないと思います。でも、その話を聞けて良かったです。来週の月曜日も諸富氏の話があるのでは、と思います。皆さんも良かったら聴いてみませんか。

今回から教育実習特集を組もうと思っていましたが、次回からということでごめんなさい。それと、ホームページに音楽を流すようにしました。どうですか?もし、興味のある方は、左サイドバーの「blog-tunes」をクリックしてみてください。リンクしています。

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合格しようよ!

教員採用試験に関心のある人、受験する人、再度集合!!

前回までの3回にわたり、カテゴリー「教員採用試験」で、教員採用試験を受ける際に是非考えておいて欲しいことを以下の点で紹介した。「あなたは本気なのか」「なぜ教師になりたいのか」「あなたは学校現場の教師たちを取り巻く現状を知っているか」そして、これらの点をしっかりふまえておけば、「論作文・面接」に十分対応できること。そして、論作文や面接に関して、日頃指導していただいている学校(大学や専門学校)、もしくは教育実習校の若き先輩教師にアドバイスをしてもらうことも有益であることをあげた。

さて、今回は具体的な勉強方法について紹介してみたい。まずは私の経験から。

3年生を終え、1年間休学し、アメリカ遊学から帰ってきたのは11月初旬。まず最初に取りかかったのは、問題集の購入であった。教職教養2冊、一般教養1冊、専門教科(中学社会全般2冊、高校地理1冊、高校歴史1冊、高校政治経済1冊、倫理1冊)計9冊で、ほとんどが協同出版と時事通信社のものだった。この2社の問題集は非常に見やすく、それぞれの学習項目の見開き左ページがポイントの整理、右ページが過去問となっていて、すごく重宝した。(本屋に並べてあるたくさんの問題集でも、レイアウトや字体、文字の大きさなどからやりやすいかそうでないかのインスピレーションが働くであろう)これを翌年の7月までの9ヶ月間、1日10時間勉強を目標に何度も何度も繰り返した。それこそ、「この問題はあのページのあそこに載っていたぞ」というのがわかるぐらいだった。4年生時に復学したが、ほとんどの単位を取っていたので、そのペースを守ることができた。試験当日に試験会場の机の上にぼろぼろでふくれあがった問題集を置き、それらを見ながら「俺が受からなければ誰が受かる」という自信をみなぎらせるお守り代わりにもなった。周りの受験生の「こいつ恐るべし。本気やな」といった雰囲気を感じることができた。

「なぜそこまで勉強できたのか」とお思いの方もいるかもしれないが、私は時間がなかったのである。というのも、大学在学時教職課程は履修していたものの、教員になるつもりがさらさらなかった私は、すごくいい加減に授業を受けていたし、ただ単位を取れればいいというぐらいで、学習内容はすっぽりと抜け落ちていたのだった。まさしく真っ白な状態。ゼロからのスタートで、教育学部に在籍しておけば良かったなどと、馬鹿みたいなことを考え、悔やんでいたぐらいだったのだ。ましてや私は商学部在籍とくれば、教師としての選択肢は限られてくる。社会科の教師しかなれないのだ。アメリカで英会話を磨き、得意だった英語科の教師には慣れないという現実があった。また、当時も中学校社会科の免許はその気になればいろんな学部から取得でき、中学社会科の採用試験を受験する人も他の教科に比べるとものすごい数の受験生が当時からいたのである。競争率十何倍の難関を突破するためには、生半可な勉強じゃ絶対通らないという、悲壮感めいたものがあった。それと、絶対教師になってやるという固い決意が私を支え続けたからこそ、頑張り続けられた要因だと思う。さらに加えて、勉強で飽和状態になった頭をリフレッシュするために、親友のY口氏(彼も当時大学院受験で浪人をしてた)と近くの公園でテニスをして体を鍛え、たまには酒を飲んで騒ぎまくり、憂さ晴らしをしたことも大きかった。

話がちょっとそれてしまった。あと、面接、論作文については特に何もしていない。ただ、面接については、今までにいろんなところでアルバイトをやった経験が生きた。本屋、木工所、果物屋、プール監視、家庭教師など・・・バイト先ではいろんな人との接し方を知らず知らずのうちに学んでいたと思う。大学のサークルでの上下関係もそう。最低限のエチケットやマナーは常識として携えていたのは幸運だった。それとアメリカでの体験も大きな武器となった。論作文にしても、私はY口氏とバンドを組んでおり、下手な詩を綴っていたのでそれなりに起承転結の効いた文章は書けることができた。

不安だったこと。それは、商学部在籍ということと、大学にほとんど行かないでいい境遇で自宅にこもりがちだったということ、まわりに受験者がおらず受験情報が新聞以外入りにくいということで、情報収集が一番ネックだった。そこで、毎月協同出版社が発行する、「教員教養」という月刊誌を読むようにしていた。教育界の現状や問題提起と解決策、最新教育情報が満載で、自学だけでは足りない中身を十分補充できたと思う。これは、面接や小論文にも十分使えるしおもしろかった。(現在は「教職課程」という名に変わっている)一読してみる価値は絶対あると思う。

今は、ネットで十分情報を収集できる良き時代である。私が今までに活用させてもらっているサイトを以下に紹介しておく。メールマガジンとして「毎日教育メール」「日刊小学校教師用ニュースマガジン」これらは無料で有益な情報をもたらしてくれる。サイトとして「小学校教師用教育関連総合リンク集」、「インターネットランド」とそのサイトの中の「教師になろう」はあなたのニーズにこたえられる情報がきっとあるはずだ。

また、私の元同僚で、見事採用を勝ち取った講師の先生は専門学校に週2日ほど行っていた。独学では補えないことを学べ、刺激になったということだ。このことも付け加えておきたい。

今回もすごく長くなってしまった。ふーっ。それでも最後までおつきあいいただいて感謝でいっぱいです。受験を控えている皆さん、教員になりたいなあと思っている皆さん、頑張ってください。でも、くれぐれも頑張りすぎないで。そうしないと、私のように壊れてしまいますよ。でも、何か自分でもお役に立つことがあれば、という気持ちで記事を書いてて気持ちがいいです。少しずつこのブログを読んでくださる方が増えてきているようで、嬉しいし充実しています。でも、自己満足の世界にどっぷりとつかっているのかもしれないなあーと反省もしつつ・・・・、今回はここまで、ということで。次回からは、教育実習について綴っていきたいと思います。こうご期待!感想でも何か些細なことでも結構です。コメントをくださればできる限りお答えしたいと思います。

さあ~豆を挽いて、コーヒー飲んでゆったりしようっと・・・・。今、とっても静かです。

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それでも教師になりたいですか?

教員採用試験を受けようと思っている人、集合!!

採用試験を突破するにはどうしたらよいだろうか。前々回(ココ)の記事でも書かせてもらったが、厳しい現状のこともあげながら、受験することはあなたにとって本気なのかどうかを問うて欲しいということを述べたかった。そして・・・本気ならば、「教師になるために必ず突破する。」という強い信念を胸に秘め続けて欲しいと思う。ただ、それに加えてあなたが本気であるとしても、もっと深いところで自分の気持ちを掘り下げ、自分の心に問うて欲しい。

つまり、「あなたはなぜ教師になりたいのか。教師になって何がしたいのか」ということだ。これは面接用の受け答えの練習というレベルではなく、「あなたはどう生きたいのですか」というレベルで考えて欲しいのだ。なぜならばokiyamaさんのコメントにあったが、今病んでいる教師が多い。現場の教師はみな口をそろえ、「きつい」とつぶやいている。何かちょっとしたことがあれば危険水域を越えそうな教師が実際に現場にいるのである。これはまさしく金属疲労である。教師はそれでもどうにかして踏ん張っている。そんな私も挫折感を味わい、病気休職に自分を追い込んでしまった。(後日壊れてしまったいきさつを記すつもりです。)しかし、病気休職ならばまだ救いがあるかもしれない。なぜかというと、悲しいことに、自ら命を絶ってしまう教師が後を絶たないからだ(産経新聞)。私の身近なところでも、最悪の事態が起きてしまった。

このことは教師に限っての話ではないという前提で読んで欲しい。どんな仕事に就こうが、誰もが理想を持って就職する。当然教師にしても理想もなしに教師になったわけではない。私もそうだ。私なりの崇高な理想があった。でも、現実は厳しい。歴然としている児童・生徒の学力の差、家庭の教育力の低下、教師間の力関係、教育委員会や管理職からの軋轢など、理想と現実はこれほどまでに違い、厳しいものなのかを身にしみて味わった。(全ての職種、職場がそうかもしれません。ただ、企業と学校は同じなのかということについては「違う」という立場です。たとえば上司の言う命令には絶対服従しなければならないとは思いません)だからといって、その理想を追い求めることを否定しているわけではない。教師を続けていくためには理想を追い求めている自分を奮い立たせ、現実問題に沿いながら自分自身も必要ならば軌道修正をしていかないと教師として生きていけないのである。それができなかったのが私である。そのような中でも自己の軌道修正も眼中になく、自分の世界に浸り、「我が世界得たり」と教師をやっているだけの教師もいることも事実である。病気休職になった私から見れば、そんな「自己中教師」はある意味うらやましいと思う。でも、そんな教師にはなりたくはない。

ちょっと力が入りすぎたようだ。私は今までに、苦しかったことは山ほどあった。しかし、嬉しいことも山ほどあった。いまでも、初任校で始めて担任をした35歳になる生徒が飲み会に誘ってくれる。人と人との架け橋になり、生徒が立派な社会人として自立していくことを手助けできる教師の仕事にやりがいを感じてきた。そのこともわかって欲しい。

教員採用試験に合格し、採用されて終わりではない。教師になり、教師生活を全うするためには、いつかきっとあなたも壁にぶち当たるであろうことをわかって欲しい。そしてもう一度じっくり「教師という仕事と自分」を考えてみてはどうかと思う。それでも「教師になりたい」ということであるならば、「合格するための」具体的な対策が当然必要となる。

採用するのは各地方公共団体の教育委員会であることを前提に考えて欲しい。最低限教師としての資質、つまり専門知識は必携である。だからこそ勉強あるのみ。それがないと問題外である。ちなみに、都道府県によって試験の内容は若干違うと思うが、主たる内容は、一般教養・教職教養・専門教養・面接(個人・ 集団)・集団討論・論作文・模擬授業であろう。その全てについて網羅することは今回できないが、基本的に面接、集団討論、論作文については今までの私の記事の内容を柱にじっくり自分の意見をまとめておけば大丈夫だと思う。そして、できれば日頃お世話になっている大学の教授や教育実習先の受験経験者の若い教師(できれば教諭)にもアドバイスなり意見をしてもらうのがベストと思う。「どうしたらいいですか?」などというまったくの空白段階で尋ねても失礼千万。問題外。私が受験した際の面接で面接官が開口一番「さわやかですね」といわれたことは忘れない。相手もプロ。その人の醸し出すオーラで本気かどうかわかるんだと思う。

話は変わって・・・・・・このブログ「静かな時間」のタイトルに関連して、最近私がとっても楽しみにしているものがある。それは深夜にNHK第1ラジオを聞くことである。私にとっては朝昼の喧噪の中では、どうしてもトーンがいまいちに聞こえてしまうNHKラジオはなぜか馴染まない。皆さんはどうですか。でも深夜し~んと静まりかえったときに聞く、落ち着きがあり深みあふれるNHK第一ラジオのアナウンサーの声がとても心地よく感じる。そのなかでも、特にお気に入りなのは、日曜の10時15分から55分まである「ラジオ文芸館」。素晴らしい名作とその朗読に、日頃眠っている私の感性がかき立てられる。とても懐かしいにおいがする番組である。騒がしいだけのテレビやラジオ番組からちょっと離れて、深夜たまには一人静かに過ごすこのひとときを味わってみては。ぜひ、おためしあれ。ちなみに、今日は東京都都議選の選挙速報のためお休みです。あしからず。

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私も悩みました

 教員採用試験について悩んである人が多いですね。人ごとではない気持ちで一杯です。私は採用試験の勉強そのものも大変きつかった。朝起きて朝食とって昼まで勉強、その後「笑っていいとも」を見ながら4時まで勉強。4時からは金八先生の再放送を見て気合い入れ、そして夕食まで夕寝、夕食を食べたら11時過ぎまで勉強。こんな生活を9ヶ月も続けた。 たまに近くの公園でテニスをしたり、週に2日ほど大学に行って授業を受けることが気休めになった。かなりんごさんのブログを見て、とっても懐かしい。採用試験は本当に微妙なもんで、教育実習で自分の勉強の内容とリズムが狂ってしまうし、一般企業の内定はほとんど決まっているし、教師になるという目的だけの教員採用試験ほど箸にも棒にもかからないってなもんで・・・・。

  幸いに私の場合、大学4年の夏採用試験に合格したのだが、ネックになっていたのが通年で社会科の必修教科であった「地理学」だった。これを落とすと合格もパァーになってしまうので、ビビリながら授業に出席したし、後期試験を受けた。単位が取れなかったとなると笑いものです。しゃれにもならない。確か、担当教授の住所を調べ上げ、「自分は採用試験に通っている。教師としてこんなこと頑張りたい」などと綴った手紙とお歳暮を送った記憶があったりなかったり・・・。もう手段を選ばず、ってな感じだった。いろいろ悩むことが多いと思いますが、皆さん!頑張って! 

 そんなところを→ ココ「ひたすら勉強」に綴っていますので、見てもらえたら嬉しいです。                             

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ひたすら勉強

  将来学校の先生になりたいという人、集合!

  来年7月にある採用試験まであと9ヶ月。うかうかしている時間はない。アメリカで聞こえた天の声にこたえるため、将来の夢を手にするため、とにかく教員採用試験を突破するしかない。そんな決意を胸に帰国した。(ただし、この記事の内容は公立学校に限っていることを了承ください)

 帰国後、友人たちに「俺、教師になろうと思っているんだ」と話すと、親友のY口氏をはじめみんな一様にびっくりするような顔をしたが、「お前みたいなヤツが教師になったらおもしろいよ。頑張れよ」と励ましてくれた。友だちとはありがたいものだ。当然家族も私の切り出した話に驚きを隠せないようだったが、うれしさ反面心配でたまらなかったようだ。

  ひたすら勉強あるのみ。 

 当時も採用試験は相当な難関といわれていた。私が受験したときは競争率10倍だった。といっても、今の危機的な少子化傾向の中での採用試験の現状は尋常ではない。(新聞記事)私が居住する県の来年度公立中学校社会科の採用人数は・・・・・な、なんと1人である。「採用なし」の方がよほどあきらめがつくほど、採用されることは奇跡といえるだろう。私立校にしても同様で、児童・生徒数減少と、経営難の中で生き残りをかけたサバイバルレースを繰り広げている。いろんな求人雑誌や新聞の求人欄を見てきたが、私立校の新規採用はほとんど見かけない。

  現場に新規採用の先生がほとんど来なくなって久しい。20代の若い先生のほとんどは講師の先生、それも、30歳を過ぎても毎年受験し続けているのが現状だ。自分の地元の都道府県はもちろんのこと、受験できるところは日程の許す限り受験しまくっている。「GTU先生、合格しました」「おめでとう!」「実は北海道なんです」「え!?」こんなことが当たり前になっているほど厳しいのだ。以前同僚だった若い講師の先生で、今後の生活のことも考えて、なくなく私立高校へと転職していった例はたくさんある。

  受験をしようと決める際に、選択肢が二つあると思う。それは、新卒の人であろうと講師をやっている人であろうと同じ。つまり、受験に専念するか、仕事(講師)と両立?しながら勉強していくか。毎年試験を受け続けている若い講師の先生から受験の相談をされるたびにこう答えた。「今年は自信ある?」「・・・・・」「じゃあいっそのこと、講師を1年間辞めて、受験に専念してみたらどう?」非常に乱暴な言い方かもしれないが、私が言いたかったのは、

 「本気なの?

ただそれだけなのだ。生半可なことでは合格しない。本気になっているヤツが勝ちに決まっている。それだけ現実は厳しいことをわかって欲しいのである。講師をしていれば金が入る。ボーナスも出る。学校では講師も教諭も関係ない。いっしょであるから甘えられない。ましてや、保護者は若くて期待できる先生として見てくれている。授業や部活動、校内分掌、学校行事にも手を抜けない。管理職からの評価もすごく気になるだろう。だから無理しても頑張らざるを得ない。部活指導が終わってほっとしてると帰りは早くて9時。それから食事をとり、風呂に入り、教材研究をし、受験勉強。これじゃ疲れが取れるはずがない。翌朝朝練。休日も部活動指導・・・・。よほどのコネがない限り、こんな超人的な生活ができる人がそこ数年で合格するだろうし、できなければそれこそ10年くらいの長いスパンを持って講師をしながら受験し続ける。それも、合格する保障は一切ない。さらに講師の契約は長短あり、切れれば次の職場を求めないと失業してしまう。だから、それがいやなら勉強に専念するしかないのだ。嬉しいことに、2年前と本年度、受験専念型と両立型の2パターンの選択肢でそれぞれ頑張っていた元同僚が合格し、採用された。二人とも本気だったのだ。(続く)

  

   

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さらば!アメリカ

  教師になるという夢を胸に秘めて、アメリカ生活は続いていった。その後サンタクルーズでの大学生活にサヨナラし、単身ロサンジェルスへ・・・・。
 第二の拠点にロスを選んだのは、前にも紹介したが以前ドライブをかねて友だちと遊びに行ったときの印象が強烈に残っていたからだ。
 まず、本場のディズニーランドがすぐ近くで、めちゃくちゃ楽しかったこと。(もう最高~。  本場の雰囲気は東京ディズニーランドの比ではないなぁ。やっぱり餅屋は餅屋)そして、ハリウッド、ビバリーヒルズ、サンタモニカにいつでも行けること。(ハリウッドはとにかく楽しめる。夜になると夜のお仕事?らしき女性がきわどい水着姿で客引きしてた。定期的にポリスのガサ入れアリ。ノーカット映画館も目白押しでもうびっくりしまくり!!!!今ハリウッドはどうなってるんだろう。ビバリーヒルズは、大好きだったイーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」で有名なビバリーヒルズ・ホテルを見たときはもう涙ちょちょぎれ状態。サンタモニカは、恥ずかしながら私が青春時に好きだった桜田淳子さんが歌っていた「来て~来て~来て~来て、サンタモ~ニ~カ~」の歌で強烈な印象が残っているビーチタウンだったので・・・。古すぎる(^_^;)。)さらに、リトル東京という日本人町をはじめ、チャイナタウンやコリアンタウンが点在し、アジア食には事欠かないこと。(サンタクルーズではそのような店は一切なかった。)最後に・・・ロスの中心地ダウンタウンがショックだったこと。(白人はほとんど通りを歩いておらず、黒人やスパニッシュばかりが目についた。これぞ人種のるつぼ!これぞアメリカ!あまりにも汚い町中に多くのホームレスたちがゴロゴロしてた。歩いているとこの人たちからよくタバコをせびられた。)
 大学の教職課程では、中学校社会科を履修していた関係上、社会科の教師になるのなら、「何でも勉強!全て吸収!」をスローガンに「アメリカを感じるぞ~」ってな感じだった。良きも悪しきも体験はすべて子どもたちに還元できる。ちょっと言い訳っぽいが。
 サンタクルーズの友だちは「危ないからロスはやめとけ!」と忠告されたが、もう何も恐いものなし。ロスに決めた!ロスに骨を埋めよう。06 
 ロスでの5ヶ月間、私のアパートは黒人街の真っ直中にあり、移動するにしても公共交通機関は治安上危ないということでバイクのライセンスを取得し、400ccの日本製の中古のバイクを購入した。バイクに乗っていろんな危ない場面に遭遇し、何度も命を落としそうになる恐い体験もしたが、それも若気の至り・・・一生忘れない。今でもこうして生きていることにただ感謝である。
  教師になってもアメリカの授業を行うときには、このときの体験を必ず話すようにしている。子どもたちは必ずと言っていいほどこの類の話には食いついてくる。本物に飢えているのだ。子どもたちは瞳を輝かせ、教科書にないアメリカの風を感じているようだ。 
  05

  そして、5ヶ月間のロス生活、8ヶ月間のアメリカ遊学を終え、いよいよ日本への帰国。最後の思い出づくりにアリゾナ州一人旅を決行し、一路日本へ。さらば!アメリカ!ビバ!アメリカ!当時私は21歳。ときは11月、日本は冬だった。

 このプログを立ち上げてすぐに、若かりし頃のアメリカ遊学のつたない記事を数回にわたり書きつづってきました。もしかしたらこのような記事は、ブログの記事としては相応しくない内容かもわかりません。(なんと言ってもブログ初心者ですから・・・ごめんなさい)でも、このブログの中で、思ったことや感じたことを飾らずにありのまま記していきたいと考えているからには、一人の人間として、親として、教師として、これまでの自分を振り返る際にどうしてもこの8ヶ月間のアメリカでの体験を抜きには語ることはできないと思ったのです。教師になろうという動機は人それぞれです。何が良くて何が悪いなんて誰も言及できないと思います。ただ、教師として教壇に立ち、子どもたちを目の前にしたときに、どんな立場や見方で向き合っているのかが問われるんだと思います。でも、この記事を書いて良かったです。  

  今、病気休職中の私はたった一人でコンピュータに向かい、キーボードをたたいています。妻は仕事に行き、今頃子どもたちは学校で給食を食べていることでしょう。机の周りには、20数年前のアメリカでの思い出の写真や地図、エアメールが散らばっています。あのころが本当に懐かしいです。気圧の不安定さがもたらす強い風が窓をたたく音しか聞こえない、そんな静かな時間が流れています。横に置いている今日の新聞の一面に「種元 駿ちゃん」のお父さんの手記が記されています。(読売新聞)もう2年経つんですね。

 次回からは、日本に帰国して取り組んだ「打倒!教員採用試験」ということで、今の実情と私の経験を重ねながら綴っていきたいと思います。それでは。

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