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人のために生きよと・・・

  私は小学六年生の途中まで、自由奔放に生きてきた。自由奔放すぎて、幼稚園や小学校の先生から言わせれば、ガキ大将、悪ガキだった。まわりの友達からちやほやされ、一目置かれる存在であった。怖い存在の親父の前ではいい子で通し、学校では自分自身を持てあまし、次第に気持ちが荒み、同じように荒れている友達と群れをなした。力で何でもねじ伏せ、まわりはそんな自分を恐れた。今でも心が痛むが、友達がやっているいわれのないいじめ(拷問)を見過ごし、止めようともしなかった。私自身も些細なことを理由にして何人のクラスメイトを傷つけたことか。当時の学年の先生を思うに、私をどこのクラスに入れるのか、クラス編成会議には相当な時間を費やさせただろうし、紛糾させたのではと察する。

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教師なんて全く興味なし

  「教師になれ・・・」

  自分を探すためにアメリカまで来た私は、以前から教師になろうなど、一度も考えたことはなかった。逆に忌み嫌っていたと言っても過言ではない。確かに、大学では教職課程を履修していたのは事実である。それは教師になろうなどと崇高な考えを持って履修していたわけでなく、動機は極めて不純で、在籍中に何か資格をとれという親父の半強制的な押しつけでやむなく履修していただけだった。教職課程を履修していた友人からたまに「教師になるのか」と尋ねられたら、

  「給料は安いし、子ども相手にチーチーパッパなどできるか。ましてや今時の教員は、児童や生徒から馬鹿にされたり、訳のわからない子どもが校内暴力や対教師暴力などで世間を騒がせているじゃないか。そんな割の合わない教師なんて俺は全く興味はないよ。」

と、教師を目指している友人への返答はこのようなものだったのである。

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不思議な体験 闇のささやき

  サンタクルーズでの生活の中で、ブラジルからの留学女性との甘酸っぱい思い出もあった。名前はパティーというスタイル抜群で陽気な美人。あるパーティーの時、その女性からいきなり愛の告白を受けたのである。なんと言うことだろう!!!なぜなのかはわからないが私を心底気に入ってしまったらしい。

  I love ○○.(日本人女性留学生がおもしろがって焚きつけたという噂も聞いたが)

キャンパスで会うたび艶やかな視線を投げかけられ、「部屋に遊びに来てね」とか、「あなたが来るまでいつまでも待ってるわ」などと、熱い誘いをかけられることがたびたびあった。好意を寄せられていることに正直嬉しかったが、女性に奥手な?私は戸惑ったし、誘いにグラッと来たのも事実である。

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今すぐ日本に帰ってこい!

   変化の少ない毎日の中でも、心に希望をもたらせてくれたものがあった。それは、日本にいる友人たちや家族から時々送られてくるエアメールだった。友人からは激励と共に、それぞれの就職活動の進捗状況、大学で所属していたサークル活動の様子が綴ってあった。誰と誰が付き合いだしたとか、コンパで誰が酒に酔っぱらい、こんな醜態をさらしたなどのしょうもない報告がほとんどだったが結構笑えたし嬉しかった。日本での懐かしい光景といろいろな人たちの顔がよみがえる。それに加えて、今まで年賀状以外一度も手紙など書いたこともないであろう親父が、安否を気遣うつたない内容の短い手紙と共に、日本のいろいろな食材(梅干し、なめたけ、ふりかけなど)を段ボール一杯に送り届けてくれたことには、胸が一杯になった。

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日本人だからってなめるなよ!

  大学での生活は、学食でコテコテとした、いかにもカロリーの高そうな朝食をバイキング形式で取る。外国人はとにかくよくしゃべりよく食べる。若い頃はスタイル抜群だった女性が中年になったら肥満体型になる人が多いのもわかる気がする。その後バスに乗ってドミトリー(外国人専用の校舎)に移動。午前中くそおもしろくもない英会話のカリキュラムに沿って授業が進められ、このカリキュラムで英会話の力がついたのかどうかは疑わしい。03

  午前に授業が終わったら昼には寮のある大学に戻る。学食でまた例のごとくコテコテ昼食を取り、その後は自由に時間を過ごす。夜は夜で夕食も学食ですまし、金と時間に余裕があるときは大学にあるバーに行き、酒を飲む。(大学にバーがあるってさすがアメリカ)そして部屋に戻り、ラジオを聴きながら眠りに就く。そんな平凡で変化のない毎日を送り続けた。時折合間を見つけて、02近くの観光スポットやネバダ州の国定公園やロサンジェルス(ココはとにかく刺激的でした。後日書きます。)などにも出かけたが、アメリカに来た当初の新鮮な感覚と留学を思い立った決意が、刺激のないサンタクルーズでの生活の中で薄れていくのを感じた。

 何かが違う?!

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いざアメリカへ

  私は教師になるつもりなんてさらさらなかった。そんな私が教師になろうと決意したのは大学4年生の春。アメリカの地であった。それでは私の教師生活の原点であり、教師になろうと決めた因縁めいたいきさつをアメリカ遊学(留学ということばはおこがましすぎる)を通して紹介させていただくことにする。

  二十一歳の春三月、アメリカのシアトル空港に降り立った。三月といっても日本の春と違い、革ジャンを着込んでいるにもかかわらず、厳しい寒さに身震いした。「いよいよアメリカに来たんだな」初めての異国の地にたち、不安と期待で一杯だった。別に英語に磨きをかけたいとか、アメリカの文化に特別な思い入れがあったというわけではなかった。 

   当時私は大学の3回生で、四月からは就職活動に本腰を入れる四回生に進級間近なこの時期に、わざわざ一年間大学を休学し、半年のアメリカ留学を決行したのだった。留学の理由は一言で言えば「自分探し」の旅

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はじめまして!GTUです

   大学を卒業し、二十三歳で教師となった私の教師生活も今年でかれこれ二十二年目を迎える。
   

   教師になった当時、中学校現場は校内暴力で荒れくれており、悲惨だった。毎日気が重たい中、車に乗り込み、ボリューム全開の音楽を聴き、その歌を歌いながら必死の思いで学校に行っていた。学校に行ったら行ったで、授業や学校を飛び出したり、たむろする生徒たちを追いかけ回していたことを思い出す。 

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