トップページ | いざアメリカへ »

はじめまして!GTUです

   大学を卒業し、二十三歳で教師となった私の教師生活も今年でかれこれ二十二年目を迎える。
   

   教師になった当時、中学校現場は校内暴力で荒れくれており、悲惨だった。毎日気が重たい中、車に乗り込み、ボリューム全開の音楽を聴き、その歌を歌いながら必死の思いで学校に行っていた。学校に行ったら行ったで、授業や学校を飛び出したり、たむろする生徒たちを追いかけ回していたことを思い出す。 

私の授業はと言えば、恥ずかしくなるほど稚拙としたものだったが、それでも生徒たちはよくそんな授業を受け、話を聞いてくれたことは不思議だ。またそのことに感謝している。しかし若かったあのころは、時間など関係なかった。いつも生徒たちと共にいた。何日もかかって若手の教師と共に深夜まで授業の準備をしていた。
 

 時を経て今、私は立派な?オヤジになった。二十七歳で結婚し、男子二人の子どもにも恵まれている。教師としても、学校の中堅として、重要なポストを任されたり、いろいろな研修を受け、力量をさらに高めなければならない立場となった。若い頃に許された失敗はできない立場にもなった。周りから「管理職」という言葉がちらほら耳に入り、管理職試験を受けることを勧められるようになった。期待されることへの喜びと重圧。
 

  今までを振り返ってみると、とにかくがむしゃらに突っ走ってきた。理想と厳しい現実の狭間の中で多くの喜びがあったし、悔しくて歯がゆくて涙を流した日々もあった。心身共に疲れ果て、教師を辞めてしまえば楽になると思ったこともあった。そして学校現場は今、昔以上に時間に追われ、生徒とゆっくり話す時間さえない。忙しい。毎日夜遅くまで仕事をし、帰る車の中で今日一日無事に終わったことを感謝しつつ、今までの生き方でよかったのか今のまま教師が務まるのか教師以外の仕事がよかったのではないかと自問自答する自分がいた。教員は確かに職や給料が安定している。周りから信頼され、「先生」という言葉でそれなりの立場が保障されている職業である。不景気も重なって、教員志望者が少子化の中でも以前にも増して多いのが端的な例だろう。若かった私が教師になろうとした時、そんなくだらないことはさらさら考えなかった。

「人間を育てるんだ。自分が成長したいんだ。」それだけだった。

 いろんな思いを抱きながらも頑張ってきた私は今、病気休職中。ある日を境についにぷっつんと切れてしまった。「学校に行けない・・・・」一時期までは教師を辞そうと思っていたが、考えに考えたあげく今復活を心に期する段階にたどり着いた。希望から挫折へ。そして復活へ。

   このプログの中で、今までの教師生活で感じたことや休職中に考えたことなどをさらしてみたいと思う。そしてこのつたない内容でも、悩んでいる現場の先生たちはもちろんのこと、教師を目ざしている人たちや保護者の方、教育に関心を寄せる方への何かの参考になれば、との思いで綴ってみたいと思う。

|

トップページ | いざアメリカへ »

「はじめに」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。お体の具合はいかがですか?「教師になる動機」を求めて、こちらへ辿り着きました。体調を崩される先生、亡くなってしまうまで追い詰められてしまう先生方の現状。
もったいない。。。。と思いました。本当にもったいない。中学高校と、いろいろな先生のお世話になり、一時期は教職に憧れていた私です。現在は高校生の息子がいます。
学べることの有難さ、たぶんそういったものは卒業してから煌いてくるものなのでしょう。長くなりましたが、どうぞお体ご自愛ください。

投稿: 夕陽 | 2011年6月 3日 (金) 16:31

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/117786/4697507

この記事へのトラックバック一覧です: はじめまして!GTUです:

トップページ | いざアメリカへ »